永 井 英 慈
都市アナリスト
元衆議院議員
国会等の移転に関する特別委員長
― はじめに ―
拝啓 今年は昨年末より、近年には珍しく豪雪ときびしい寒さに見舞われましたが、年々歳々花相似たりと申します。ありがたいことに梅花から桜花へ、そして風が光り萌え出る新緑から逞しい深緑へと、日本の季節は慌しく移り変り、早くも半年余りが過ぎ去りました。折々に、なんとも美しい日本に生まれた幸せを、肌に感じる季節と実感しております。
誠に残念なことですが、その間、内にあってはカネボウの粉飾決算事件や耐震強度偽装事件やライブドア事件、村上ファンド事件さらには偽メール事件など偽装とか粉飾とか詐欺とかが、キーワードのように思われる事件が続発して、日本の誇るべきモラルや社会秩序が溶融し、経済大国日本が根底から崩壊してしまうかの危機に襲われているように思われます。
外にあっては、遠い異質の国のこととは申せ、残虐なテロの頻発には胸が痛むと同時に、アフガニスタンやイラクの新しい国造りの難しさを思い知らされ、明治維新や戦後復興と奇妙なまでに重なって、江戸社会の文化遺産の蓄積と相俟って、内外の激動・激変の中で明治以降の近代化の過程で日本と日本人が発揮した天才的な民族力の凄さに、改めて驚異の感動さえ覚える今日この頃でございます。
石原都知事におかれましては、首都の知事のご要職にあって、益々ご壮健にて存分のご活躍のほど心から敬意と期待を申し上げる次第でございます。
このたびは突然にもこのような書簡を差し上げまして、誠に不躾けにて恐縮に存じますが、どうぞ寛大なご諒恕のほど伏してお願い申し上げます。
そう申し上げます私は、平成十五年秋衆議院の解散を機に、世代交代を促すべく巨大自治体神奈川を基盤としてほぼ三十年間に及ぶ政治活動に終止符を打って、昨年夏より、今日までの拙稚な活動の経験を踏まえて、都市における庶民の生活やビジネスの現場に軸足を据えて都市アナリストなる仕事に取り組んでおります。今までお世話になりました方々へのご恩返しと子や孫たちの世代に何らかの役にたちたいとの切なる思いでございます。すでに人生のレースを終え、古希を目前にして内なる欲望の葛藤も終息に向かい、全く他意はございません。― 今さら、やっぱり東京オリンピックですか ―
さて、昨年来よりマスコミ報道で、福岡市と東京都が二〇一六年のオリンピック招致の意思表示してきましたことは承知しておりましたが、去る四月二十八日に福岡市に続いて、東京都も日本オリンピック委員会(JОC)に立候補意思表明書を提出しました。
その直後の記者会見で、あなたは実に自信たっぷりに余裕を見せながら、その概要をご説明され、東京の優位性を強調されておられました。続いて、衆議院議員時代からの畏友であり、福岡市の山崎広太郎市長がとても厳しい表情で、対抗心を剥き出しにして強い決意と意欲を語っておりました。
私はこのテレビニュースを見て、その光景に慄然としました。江戸開府以来四百年、首都としてのハード、ソフトの集積と蓄積を誇る東京、しかも昭和三十九年にはオリンピックを開催した実績があり、再び東京オリンピックを開催するための新たな施設など不要と思えるほど近隣県市も合わせて国立、都立、県立、市立の各施設も揃っております東京と、九州のローカルの福岡市が一騎打ちするという奇怪な対決の構図に国民の一人として息を呑む思いでありました。
と同時に、あなたはその後の公式文書について「東京オリンピックのコンセプトや理念よりもレトリックの問題だから、役人に任せるわけにいかない、私が書きます」と言い切ったことも理解し難く、とても奇妙な印象を受けました。JOCが開催概要計画書のレトリック(文章表現の効果を高めるための技術)によって候補地の決定が左右されるというご認識はJOCをどのようにお考えなのでしょうか。いくら文豪とは申せ、とても気がかりでした。
そのような経緯と首都圏の深刻な大気汚染の実態から私はこの書簡をあなたにさしあげざるを得ないと、決意を固めたのでございます。
もとより、輝かしい実績により人生の得意の絶頂にお立ちになって、今や得意と自信が満身に溢れておられ、向かうところ敵なく近寄り難い存在のあなたに、私ごとき無名で非力な者がこの様な異論を申し上げることは、文字通り蟷螂の斧の非力であり、一笑に付され、愚かしい徒労に終わるように思われてなりません。あえて、あなたと同世代の人間として、同じ時代を生きてきた者として、さらに、ともに同じ巨大都市圏で生活を営んできた者として、自らの良心に従って地球社会に思いを馳せ、日本人の幸福を願い、首都圏の発展と安定を思い、日本のバランスのとれた発展を願いながら、そして何よりも子や孫たちの世代に思いを巡らしながら庶民の心と立場を中心にすえて、事実に基づいて私の拙い意見を申し上げる次第でございます。
ただ、私は長年政界にあって権力や体制とは意図的に距離を置いて、あなたとは対極的な道を歩いてきました。ですから、足尾鉱毒事件に身命を賭して取り組んだ田中正造の、あの壮絶な直奏文の心境に通ずる思いでペンを進めて参るつもりであります。― 時代の寵児は奇才であり、鬼才でありました ―
石原慎太郎都知事につきましては、私如き者が多言を弄することは誠に礼を失することになりますので、慎んで節度をもって書き進めますので、ご容赦のほどお願い申し上げます。
誰が何んと申しましても、戦後六十年が経た今日、あなたは日本の近・現代史の中で、作家と政治家の両面で巨星として燦然と輝き、老若を問わず、その令名を知らぬ者はおりません。いずれの時か、不世出の史家が不世出の巨星のあなたについて「巨星・石原慎太郎研究」とでも題して執筆・論評してこそ、歴史的評価が定まる偉大な存在と存じます。その日が待たれる思いでもございます。
あなたの最近著「日本よ、再び」の著者略歴によれば、あなたは《一九三二年神戸市生まれ。一橋大学卒業。五十五年、在学中に執筆した「太陽の季節」で第一回文学界新人賞を、翌年には同作品にて芥川賞を受賞。著書に『完全な遊戯』『化石の森』(芸術選奨文部大臣賞受賞)『光より速きわれら』『刃鋼』『生還』(平林たい子賞受賞)、その他にも『弟』『老いてこそ人生』、また『日本よ』『息子たちと私』など多数。六十八年より国会議員として計二十五年勤めた後、九十九年より東京都知事に就任。二〇〇三年再選。》と記されております。なんとも立派なご経歴で、只々圧倒されるほどの思いで、不用意に浅薄な感想など厳に慎まなければならないと緊張を覚えます。
私は、あなたより五年年下の一九三七年、過疎化の進む群馬県赤城村生まれです。思えば、私が初めてあなたに出会いましたのは、『太陽の季節』で芥川賞を受けられ、若者の間に慎太郎刈りなるヘアスタイルが流行した頃、その栄光の受賞作を慶応義塾の日吉キャンパスにほど近い、素人下宿で読んだ時でした。雄大な赤城山の西麓の寒村で、厳しい野良仕事に明け暮れする中で育ちました文学少年、哲学青年だった私には、先進県神奈川の湘南の太陽族なる若者たちの生態など分ろう筈もなく、理解をはるかに超えた異邦の物語であり、強烈なエイリアンの世界と映ったものでございました。あれから早、五十年の歳月が矢の如くに過ぎ去りました。
先日、現役時代に行き慣れた国会図書館の個人閲覧室で、永田町の喧騒から遮られた閑静な中で改めて名作「太陽の季節」を拝読しました。奇才というか、鬼才というか、あなたの驚異の才能に触れた思いです。あの作品のプロット、レトリック、テンポ等々に、同世代の人物の作品だったのかと息を呑むほどでした。芥川賞はけだし当然と改めて心から感心したのであります。昭和の時代を走り抜けた大スターの「弟」も実に爽やかな読後感をいただきました。
その上、ご令弟の裕次郎氏が同じ日吉キャンパスに在籍しておられ、神奈川という地縁も手伝ってか、正直申し上げまして、親しみやら、恐れやら、尊敬やら、何んとも不可思議な感情を、あなたがた石原兄弟に抱いていたものでございました。田舎者にとっては羨望とか憧憬とかのレベルではなく、只々無縁の遠い人びとでありました。確かに、お二人はあの時代が生んだ日本の新しい時代の寵児でありました。
鬼才のあなたと対比するほどの愚かではないと思っておりますが、よりご理解をいただきたく少々記します。私は昭和三十五年六月、大学四年生でした。日米安保条約の改正をめぐる騒動の真只中で、今で言うベンチャー企業を創業し、零細企業の経営に精を出していました。その頃、京浜地方への人口集中の嵐が吹き荒れ、東京オリンピックを目前にして、凄まじい勢いで公共事業が行われて、大都市への恐ろしいほどのエネルギーの移動を肌身で感じ、その中に私は我が身を投じておりました。
零細ながらも、仕事が軌道に乗ってきた昭和四十三年七月、あなたは参議院議員選挙に出馬され、空前の三〇一万票の大量得票で、芥川賞に続いて、見事に政界に華々しくデビューを果たされました。天はあなたに二物を与えられました。日本社会と日本人は能力ある人物をそれなりに評価することに、この時私は大きな感動を覚えたものでした。この選挙で、私は友人と相談の上、陰ながらあなたを応援したものです。街頭演説にも出向いて、心を動かされたものです。なんとも若々しく、逞しく、頼もしく、眩しいばかりの格好良さとその後のご活躍に心から拍手を送ったものでした。天晴れでございました。
その後、何らかの機会に恵まれて、湘南の海を一望する逗子の高台にある、お宅にお伺いしたこともありました。その折、あなたにはお会いすることもなく、ただ極めて質素なお住まいという印象が残っておりますが、今から、すでに四十年も昔のこととて、忘却の波間に消え入るばかりの思い出となってしまいました。
申し上げるまでもなく、あなたは本格的な高度経済成長の入口に立った風雲児として、血判状で勇名を馳せた青嵐会結成に参加されました。十分理解するには至らなかったものの、私は同世代の若者として、その行動力と正義感に強く打たれ、惹かれたものでした。凡才、非力をも顧みずに、あなたに触発されるような形で「いずれ、オレも」という若者の野望が、内心じわりと燃え上がる思いでありました。
その後、あなたは自民党にあって、着々と実力をつけられ、環境庁長官や運輸大臣を歴任され、頂点を目指して、政権党の中でいとも順調に権力と体制の階段を昇られましたが、平成七年突如として衆議院議員を辞職されました。そのわけを知る術もありませんでした。
その時、私もすでに神奈川県議会議員三期を経て、衆議院に議席を占めておりました。でも、私なりにこの国を思う強い信念のもと、自民党から新自由クラブへ、そして自民党に復党することなく、日本新党、新進党、民主党とあなたとは違って、非自民・非体制の道を歩み続けておりました。
平成十一年四月、満を持すかのように、あなたは東京都知事にご就任され、今日に至っております。代議士在職中もあなたはペンを置くこともなく、文筆活動にもご精を出しておられたと記憶しています。派閥政治の最盛期にあっても、派閥に群れるという印象はなく、文豪らしく孤高の政治家として政権党の中で重きをなし、特異の存在感がありました。長期に亘る政権党の中にあって、政界財界はもとよりマスコミの世界でも言論界においても華やかな人脈を形成して、思想家として、文明批評家として今や日本に超然と君臨している巨星と申せましょう。いま、ペンを手にしながら、あなたを表現する適切な言葉に窮す始末であります。
他の追随を許さぬあなたの超人的な強味は風雲児のカリスマ性に加え作家として着実に優れた実績を積まれ、その上、国政と都知事選挙を通じて、常に主権者の圧倒的な信任を得て、強固な政治の正統性を体現していることにあると存じます。
さらに、あなたは豊かな才能に恵まれ、国民的な人気を集めながら早逝した大スターの令弟裕次郎氏の大衆性をも合せ帯びて、弥が上にもカリスマ性を増幅して比肩し得るものを私は存じません。今や映像の時代です。そのあなたは歴史に残る大スターだった裕次郎氏に勝るとも引けを取らぬ堂々たる体躯と容姿端麗はマリンスポーツの愛好者らしく、接する者を圧する威風堂々の強気の言動は、思想や価値観の相違を超えて、批判の余地を残していないほどの様相でございます。
あなたを語るには、これだけで尽きるものではありません。令夫人の存在です。マスコミから流れ出る断片的な情報によるもので、とても正確に全貌を語れるものではありませんが、眉目秀麗に加えて、控え目のお人柄で、妻としてあなたという巨人を支えられ、その上、四人のご子息を立派に育てあげられました。それも、長男伸晃氏は今や主要閣僚を歴任され、若手の有力政治家として活躍中です。三男の高広氏も新進政治家として先般デビューされました。二世代にわたる政治家一家の重みはあなたの政治的立場をさらに強固にしております。二男の良純氏も育ちの良い個性的なタレントとして頭角を現しておられます。四男は画家と聞き及んでおります。
その上、令夫人は子育てが終わってから慶応義塾大学法学部をご卒業されました由、これほどまでに、女性として世に範を垂れておられます。只々敬意を申し上げるばかりでございます。なんとも恵まれた石原家の華麗なる一族と申し上げ、感想の言葉もございません。― 庶民の感覚をお忘れなく、生活者の声に耳を ―
あなたは、日本国の総理大臣にこそ就かなかったものの、大国日本の首都・東京の知事として、権力と権威と信任を一身に集めて、今まさに、高く君臨する巨星との強い自負を抱いておられることは衆目の等しく認めていることでありましょう。
同時に、あなたは眩しいばかりの経歴や言動や著書からしても日本について、世界について、そして人類について、他の追随を許さない、桁外れの該博の知識や情報の夥しい蓄積を擁しておられるものと拝察しております。私などの浅学菲才は足下にも及ばず、度肝を抜かれるほどです。ですから、あなたの言動やパフォーマンスは、意識してのことと存じますが、威圧的で尊大で時には不遜、横暴とさえ映ることがございます。
ましてや、首都・東京や首都圏につきましては、あなたほど熟知している者は無いと断言できましょう。ですから、日本についても、地球社会についても、歴史や文明についても、首都・東京についてもあなたと本格的な論争などするほどの度胸のある人はいないでありましょう。
お見受けするところ、あなたの人生は庶民の哀歓や息づかいとはかけ離れた、常に強者・勝者の論理と思考によって貫かれている印象です。喧騒とか雑踏とは無縁な生活を送って来られた大人物らしく、「この時代と寝ることのできた私は幸福だった」と、さすがの言葉をもって述懐されておられます。あなたとは対極的な道を愚直にしかも不器用に走り続けてきた雑草的庶民派としては「おかげさまで健康に恵まれて、この時代と格闘することができました」と。超過密の中で喧騒と雑沓にまみれて、庶民の汗と涙の息づかいや哀歓こそが、わたしの生涯の血であり肉であったように思われます。
そんな菲力で雑草的人生を送ってきた者からしますと、これとて当然のことではありますが、あなたの想像を超える能力とカリスマ性から、微動だにしない絶対的な自信に裏打ちされた唯我独尊的な言動と憂国の思想と行動は、正直申し上げて理解を超えるものがございます。天才と凡人の間には、状況認識も時代認識も歴史認識も価値観にも相当の開きがあるとつくづく痛感しております。
ただ、気がかりなことは、IT革命が急速に進展する情報化社会で時代認識に於いても、価値観に於いても、日常の生活意識においても石原都知事と庶民との乖離が余りに大きいことでございます。たとえ圧倒的な信任によるものでも大衆と遊離した為政者はとても危いと思われるのです。文学の世界ならともかく、庶民感覚や生活者の視点が政治的行政的指導者に欠落しているとしたら、今日の大衆社会に於いてそれは極めて危険なことであるし、あなたもご指摘のようになんとも不幸な結末を迎えたことは数々の歴史の事実が明確に教えてくれています。
あなたは、申し上げるまでもなく、芥川賞受賞者として学生時代から日本社会にあって特別な存在でした。その上、日本の長期政権の中にあって、常に政治権力の中枢にあって、体制の体現者として勝ち誇って生きてこられました。率直に申し上げて勝ち組のトップランナーとして、同世代の者の目にはそれは見事な人生でございます。― 首都・東京の集中・集積は今日そんなに重要なのでしょうか ―
あなたの庶民感覚の希薄さを殊のほか強く実感しましたのは、平成十一年九月二十七日に開かれた、衆議院の国会等の移転に関する特別委員会でのあなたの都知事としての参考人のご発言でした。お聞きして、大きな不安や危惧さえ感じたのでございます。その時、建築家の黒川紀章氏と宮城県知事の浅野史郎氏も参考人としてご発言されました。
先ず、あなたは首都の概念規定に異常にこだわり、あなたは首都の定義として、『ちなみに、日本の信用できる、例えば辞書、広辞苑には「その国の中央政府のある都市」、講談社の日本語大辞典には「その国の中央政府が置かれている都市」、平凡社大百科事典では「一国の統治機関が置かれている都市」、近代国家では政治行政の中央機能が集中しているとあります。多分これには異存ないと思いますが、加えて、この法律にうたわれている「国会等の移転」の云々とありますその「等」というのは何と何か、これもできるだけ早くつまびらかにさせていただきたいと思います。これはお願いいたします。
国民、都民がこの問題に今どれほど関心を持っているかわかりませんけれども、やはりこの問題を正確に把握するためにこういう概念規定をひとつはっきりさせていただきたい』と冒頭から首都の概念規定に強くこだわっておられました。経済大国日本の首都は極めて複合的、多元的、多様的、複雑的な存在であって、単純な概念規定にどれほどの意味があるでしょうか。首都の現職の都知事が政治家として、思想家としてご自分で判断されればいいことと思いました。とても不思議でありました。
続けてあなたは「新しい日本ということなら、私は、やはりトインビーが言っていた国家社会の衰退の最要因である、自己決定できないこの日本の姿勢というものを国政が先頭を切って改められることが、日本の復権につながるのではないか、新しい日本への道につながるのではないかという気がします。
具体的に申し上げますが、東京への過剰な集中、集積を排除すべきというのは、これは文明工学的にナンセンスな話でありまして、現代の文明はとにかくコンピューターエイジと言いますけれども、この集積、集中こそがコンピューターの特性でありまして、現代文明の機能のキーワードはまさに集積と伝達の速度だと私は思います。それを分散、削減するというのは、まことに退嬰な試みと言わざるを得ない。
そしてまた、社会工学的に政経はまさに不可分でありまして、だからこそ、東京というもののダイナミズムに国家的な意味があるわけであります」と参考人として陳述されました。このご発言は意味不明でありまして、凡庸の聞く者に対して全く説得力がありませんでした。黒川参考人も「石原知事のコンピューターの時代だというご認識には大賛成ですがコンピューターは集中化であるという点には理解に苦しむ」と異論を唱え、明確に指摘されています。
特に耳障りでございましたのは、文明工学的とか社会工学的とか、普遍的、客観的、論理的に一般では広く認知されていない個人的な特殊な用語をもって、独断的な議論を交わすことは政治の世界では好ましいことではないとしみじみ思いました。加えてあなたの時代認識は、複合変化の今日、コンピューターとインターネット社会の本質を思い違いしておられるように思えてなりませんでした。現代の進行しつつあるコンピューター社会の特質、本質を誤って認識して、その誤認に基づいて現実の施策を策定し、施行したなら、その惨禍は末代に及ぶと言っても過言ではないと思われるのですが。首都機能の移転などの国家的・歴史的プロジェクトは最たることであります。集中と集積を、コンピューター時代やインターネット社会の特性として追求することは少なくとも今日の首都圏や東京にはあてはまらないと考えられます。― 巨大地震の発生に楽観にすぎませんか ―
その上、必ず来襲する巨大地震の発生に対して、あなたは「東京は、とにかく国家の安危にかかわる首都機能は既に完全に防災化されております」と断言されて「いわゆる中央政府の対内的、対外的な機能にはほとんど支障を来たさない、そうゆう体制をとっております」と強気に胸を張っておられますが、巨大地震の予知も被害想定も極めて困難な現況の中にあって、明確で客観的、科学的な根拠を示さず都知事として余りにも独断的、独善的、楽観的に過ぎると存じます。庶民の目からすれば巨大で超過密の東京と首都圏の実態をご存知ないのではないか極めて心配でございます。その知事の感性と思考と認識を疑わざるを得ないのでございます。巨大地震には限りない恐怖をもっている住民には全く理解ができないと存じますが。
ご承知の通り、首都直下型地震は十年以内で三十パーセント、三十年以内は七十パーセントの確率で発生すると見られております。この確率に身が震える思いです。中央防災会議は東京を震源としたマグネチュード七クラスの地震の被害想定をまとめております。これによる最悪のケースで、経済損失は百十二兆円、死者は一万一千人、負傷者は二十一万人、建物の倒壊・火災消失は八十五万棟、避難者七百万人、帰宅困難者は六百五十万人、停電百六十万件、断水人口は一千百万人、ガス供給停止百二十万軒と推計しております。この想像を絶する被害でも中央政府の対内的、対外的な機能には支障を来たさないと断定しておりますが、民間や庶民の生活はどのようにお考えなのでしょうか。これはあくまで推計でありまして、現実に巨大地震が発生した場合に各種のライフラインをはじめ、どんな混乱と困難が待ち構えているか想定は不可能であり、救助や復興の体制はどうか、石原都知事のように楽観がゆるされるなら安心もできるでありましょうが、都民はあなたの自信をどう受け止めているのか聞きたいものでございます。政治や行政は結果として国民、住民の健康と生命と財産を守ることが最大の使命ですからことは深刻であります。被害を最小限にするためには超過密の東京への集中・集積を抑制・分散することが今や現実的な方法であると存じます。集中・集積をご主張のあなたと正反対の認識でございます。
そして、あなたは「時間が推積してできる成熟というものは、どんなべらぼうな金をかけても絶対に買えない」と主張し、「こういったものを無視して、とにかく移せばいいんだと。ですから私はこのわけのわからぬ首都移転というでしょうか、要するに首都移転でしょう、国会等の機能移転というものに絶対反対を表明して、参考人の意見陳述を終わります有難うございました」と明確に、絶対反対を表明されました。凡人には意味不明の時間が推積してできる成熟という個人的な概念をかたくなに国会の委員会でご主張されること自体現実の為政者として極めて異常のように思われました。
あなたは国会の両院で決議が行われて以来、首都機能・国会等の移転に関して、何か決定的に思い違いや誤解されているような印象でありました。あなたの陳述が余りにも独断的であり、凡人には理解に苦しむご持論であって、説得力がなく、空しさだけが残りました。
それに反して、あなたに続いて陳述された建築家の黒川紀章氏のご意見は極めて現実的で理論的で理解と納得の行くものでした。黒川氏は「首都機能の移転は、本当の意味で大胆な行政改革をもう一度考える、そういう絶好のチャンスになることは間違いありません。これはソフトの面ですけれども、ハードの面でいいましても、私はこのままでは、二十一世紀、日本の生き残りは難しいと悲観的に考えております。例えば、二十一世紀に国民が目指しているライフスタイルに合った国土がつくられようとしているのか。二十一世紀の新しい産業を育てるインフラの整備が急務ですけれども、それがちゃんと行われているか、大変心もとないと思います」と日本の現状に深い憂慮を示して、「首都移転は東京の活性化、東京の瀕死の状態を救う最も有効な手段だと私は思います」と、東京の実態を正確に認識して極めて明解にその必要性を説いております。あなたは東京の集中・集積を最大限に絶賛し評価しているのに対して黒川氏は瀕死の東京を危惧しております。両巨頭の正反対のご見解をどう理解したらよろしいのでしょうか。
黒川氏は続けて「東京には、二十一世紀へ向けた新しい文化を創出する世界都市を目指す、日本の二十一世紀の骨格構造をつくるため索引車になってもらいたい。そのためには思い切った都市改造が必要だと思います。そうすれば、首都機能が東京から外へ出たからといって何の問題もないと思います」と核心を突いた冷静で現実的な持論の展開でありました。
東京がそっくり移転し、首都機能がすべて移転し、東京がバラバラに解体されるのではないのです。東京が消滅する訳がありません。あなたが言葉の限りを尽して力説している殺人的な大気汚染の実態を考えればぜひとも誤解を解消してほしいものでございます。― 東京への一極集中は譲れないのですね ―
それから二年ほど経った平成十二年十一月十一日、衆議院の国会等の移転に関する特別委員会に、あなたには再び参考人としてご出席いただいてご意見を伺いました。その時、私は委員長をつとめておりましたので、はっきり記憶しておりますが、あなたは、その時極めて異様な雰囲気でございました。
特にあなたは二十五年もの長期間、政権党の国会議員を勤め、しかも環境庁長官や運輸大臣などの重要閣僚を歴任され、その後、東京都知事という要職に就任され、日本のトップリーダーとして一言半句、一挙手一投足に至るまでその言動は常に注目と関心を集めております。あなたは国会の委員会の議事進行や参考人の立場や発言については十分に熟知しておられるはずですが、あの日は初めから冷静さを欠いていた様子でありました。なぜ、あんなに高慢で、横柄な言動をするのか、心から理解に苦しんだものです。ぜひとも、その時の議事録を改めてお示ししますのでご確認頂きたいと存じます。
激しいやりとりが交わされ、不規則発言やヤジが飛び交う委員会の混乱で、私は何回となく速記を中断し、静粛を求めました。聞くに耐えない言葉が連発されましたので、私は委員長席からご注意申し上げました。「本委員会の権威にもかかわることですし、国会の権威にもかかわることですから、本委員会におかれましては冷静にしかも品格のある言葉遣いをもって議論を深めていただくことを希望いたします。」と控え目にご注意を申し上げましたら、あなたは平常心も理性も失った錯乱状態のようにこう叫んだのです。「私はインテリやくざだから品がないかも知れませんが」と。国を憂い、教育を説く現職の都知事とは信じられない暴言を吐かれ、専横を極める横暴な言辞を吐かれました。この時、あなたは一体これほどまでに、なぜ常軌を逸しておられるのか理解できませんでした。
さらに「ある悪い影響力を駆使した政治家にこびて、明らかにそうですよ。いつ、どことも決めていない、いや、とにかく、いつかどこかへ国会を移そうと言う決議をするというには、だから、つまりその残滓というのは今日に及んでいて、この決議そのものがある意味では国会の決議の対象になるほどレジティマシシー、正統性がないんですよ。それは過去の歴史だって、日本の国会が全部一〇〇パーセントすべて正しい決議をし、それが国民に納得されたか。随分間違いやってきたではないですか、これはその最たるものの一つだ」と、共産党を除いて全会派賛成による国会決議の正統性がないと決めつけて「いや、だから、過去の歴史を知って物を言ってもらいたいというの。歴史を知って物を言ってもらいたい。あの決議ヽヽヽ。」と、あなたの威圧的なこの一連のご発言は衆議院の公式の速記録に記載され、残っているのです。
委員長として私は申し上げました。「石原参考人から今お話がありましたように、決議にもいろいろな決議がある、いいかげんな決議があるというお話でございましたけれども、少なくとも決議を国会で、国権の最高機関で、どんな内容であろうともされたことは事実でございまして、そのことについては、やはり国会議員(政治家)としての見識をもって対応すべきであると考えております。」
あなたは国会議員を詰り、国会決議を踏みにじり、無視する横暴な態度と取り続けられました。しかも、国会の委員会の速記中に「インテリやくざだ」と開き直り、自らを下品だと、暴言を吐くその不遜な言動はいかがなものでしょう。巨星と仰ぎ、畏敬してきましたあなたは、あの時冷静な議論など期待できないと、なんとも空しい思いをさせられたものでございます。失礼とは承知しながら事実を申し上げます。この機会に、衆参両院の委員会での参考人のあなたの会議録全文をご確認いただきたいと存じます。
この国会等の移転につきましては、先刻承知の通り、国会で何ら結論を出すこともできず、十四年もの長い間、多額の費用と多大の労力を費やして幕引きとなりました。それこそ、あなたの思う壷にはまったことと思いますが、この国会等の移転をめぐる、あなたのお考えやご主張は、それは即、あなたの東京に対する、首都に対するお考えであり、あなたの時代認識とご見解を余すことなく、露呈したものでございます。
特に、あなたのご主張の力点は再認識していただくために議事録をここに再録申し上げましょう。このあなたの歴史的なお考えは国民の大多数に容認されるものでしょうか。「このコンピューターエージと呼ばれる現代文明の中で、集積、集中というのは歴史的、文明的に蓋然性があり必然的なことであります。そういう意味では、東京の機能というのはいろいろ欠陥がありますが、しかし、これほど現代的な集中、集積というものが歴史をかけて行われた首都というのは世界に例を見ないと私は思います」と強調されて、「いいですか、これが霞ヶ関、永田町。そして、この横に丸の内がある。こんな、立法、行政、司法の、要するに国家機能、首都機能、そして、その周りに政経不可分の丸の内が密接してある。これだけ機能的な大都市というのは、世界じゅうないですよ。これをあなた方は分散しょうという。ナンセンスだ、こんなものは。ということでありまして、このプロジェクトの致命的な欠陥というものをあげつらえば切りがない」とあなたが目の敵にしている官僚に支えられた中央集権体制の総本山と東京の過密の総元締めで政治と行政と経済の権力の中枢の霞ヶ関、永田町、丸の内を手離しで礼賛し尽くしております。感情を剥き出しにしたこのご発言とご認識こそ理解できないところでございます。極限に達している東京の空恐しい殺人的な汚染と超過密の現実の実態を現場に即して、十分ご認識いただきたいと存じます。都民、国民は本当に困ってしまうのではないかととても気がかりでございます。
さらに念を押すかの如く、あなたは「この集積、集中というものを表象するコンピューターエージに、これだけ、歴史のもたらしたものかもしれないけれど、この二十一世紀になってみて、本当に他者がうらやむような集中というものを行い、機能的な要素というものを蓄えているこの東京というものをばらばらにするということは、私は、国家にほんとうに弓を引き、国家をみずからの手で毀損することになると思います」と東京の集中と集積を金科玉条として重ね重ねその偉大性、優秀性をご主張されておりました。国会等の移転の必要性も移転そのものをも最初から曲解し、誤った主張を繰り返しているのではないかと、とても心配でありました。国家に弓を引き、国家を毀損するとは一体どういう事なのでしょうか。多様な意識や価値観の存在が前提の今日の民主主義の国にあってどのように理解すればよろしいのでしょう。あなたのご主張からすれば国会決議は国家を毀損することだったのでございます。
環境にしても交通にしても各方面にわたり東京は行き詰まって極限状態なのです。見解の相違かも知れませんが、そのことが認識されていないところに問題の所在があるように思われてなりません。さらにあなたの曲解、誤解、誤認とも思われる反対論を受けて、東京都が独自で展開した首都機能移転反対の凄まじいキャンペーンは冷静な議論を封ずるような問答無用の見幕でありました。あなたの沽券にかかわることですから広く識者や都民や国民の皆さんに-衆参両院の委員会の議事録全文をお読み願いたいと切に願っております。日本の将来のためにも。― 過度集中の首都圏は最早極限です ―
申し上げるまでもありませんが、江戸開府以来四百年、東京は集中、集積の歴史を重ね、特に敗戦後六十年間、経済大国に発展した日本の首都・東京は、極度の複合中央集権体制の統治構造に加えて、東京の地理的、地形的、地政的、気候的な利点や長所を存分に生かし、拡大・発展を遂げ、首都圏、東京圏という、世界に類を見ない巨大なメガロポリスの形成を遂げてきました。あなたがご指摘のように世界に類がございません。
したがいまして、東京には政治、行政、司法の統治権力の中枢機能を集中させ、陸海空の交通の集中化を図り、情報通信のネットワークを構築し、政治、行政、経済、文化、教育などあらゆる分野の集中を図り、集積・蓄積のメリット(能率・効率)を最大限に発揮する日本の今日の体制が築きあげられました。この体制こそあなたが幾度となく、言葉を尽くして、文豪のレトリックをもって礼賛して止まない集中・集積の体制と申せましょう。
しかし、今や奇跡の成功を収めた、その複合中央集権体制も、その集中・集積の効率も完全に極限に達してしまいました。二十年も前のバブル経済が何よりも雄弁に物語っております。そこで国会等の移転が現実のスケジュールに上がり、具体化のための厖大な作業が十年以上にわたって行われました。ご承知の通りでございます。その調査・研究の作業の経過と結果はこれからの日本国にとって歴史的価値を有し、近い将来必ず統治に関する有益な遺産として役立つものと私は高く評価しております。
なぜなら、今日の日本の国や地方の統治権力の所在と構造は複合変化の時代に対応できず機能不全に陥っております。この事態こそ深刻でございます。あなたもご主張の通り、大胆な地方分権の断行により地方主権の確立を実現して、自治と自立と連帯の新しい社会システムの構築が切実に求められております。今から百年以上も昔の十九世紀末、旧憲法下でスタートした都道府県制、市町村制は複合変化の進むインターネット時代やユビキタス社会では対応できません。地方制度調査会も提案している道州制と新しい基礎自治体の導入以外にございません。統治権力の構造と所在の変更こそ日本の革命です。憂国の士の最大のテーマではないでしょうか。都知事として最優先課題としてお取り組みをお願い申し上げます。
バブルの崩壊に伴う物心両面の停滞はありましたものの、経済・金融の回復・再生を最優先しまして、天文学的な公的資金を投入し、経済再生のための規制緩和により、今日では都心回帰現象とやらで、東京を中心に首都圏には超高層のビルやマンションの建設ラッシュが猛烈な勢いで進行中あることはご承知の通りで、ミニバブル歓迎の風潮でございます。あの恐るべき過熱の経済も過度集中も超過密も、災害対策も今やすっかり忘れ果てて、首都機能移転など頭の片隅にもない有様でございます。首都・東京の知事として、ご主張の通り集中・集積を絶対的に評価して今後も肥大化を続けるこの状態を放置し続けるつもりなのでしょうか。
ご存知の通りこの十年ほどで、国会周辺の風景は高層ビルの建設で一変してしまいました。それに六本木ヒルズ、汐留開発、新丸ビルの建設等枚挙に暇がございません。東京の、首都圏のこれ以上の巨大化・肥大化が国家の繁栄なのでしょうか。
あなたの理想であり信念であります東京の集中・集積は異常な水準に達していると申しあげても過言ではないと存じますが、それは国家に弓を引くことになるのでしょうか。
私は政界引退後、二年半ほど経ちました。最近、東京の都心、銀座、新宿、池袋、渋谷などの繁華街に出かけることも少なく、月二〜三回ほどですが、空気の汚れが気になって仕方ありません。とにかく埃ぽいのです。花粉症のように目がしょぼしょぼして、鼻はむずむずして泪目になってしまうのです。あなたも気づかれておられますが、東京の空気の臭いは異常なのです。現役時代に気がつかなかった大気汚染なのでしょう。あなたが著書で恐怖の指摘をしている、次の世代にもわたって健康を侵害する、恐るべき大気汚染・環境破壊が現実に進行していると実感しています。
それに加えて、現役時代は自分でハンドルを握ることは滅多にありませんでしたが、最近、買物や近隣の用足しに車で出かけ、想像もしない渋滞に巻き込まれることがしばしばです。国道や主要地方道の慢性的な混雑は長年にわたって慣れていることですか、今日では日常生活道路、コミュニティ道路が思わね渋滞でございます。首都圏の過密はここまで進んでいるのです。生活実感として最早極限であります。これ以上の過密はエネルギーの大量浪費に直結して、地球温暖化や大気汚染の元凶として首都圏が反社会的、反自然的な巨大都市になって世界の嘲笑を買い、批難されたら大変なことでありましょう。
私が今住んでいる川崎市北西部地域は東京に隣接するベットタウンですが、今も大規模なマンションが次々に建てられ、戸建の建売り住宅も次々に販売されており、人口増加は止む気配を感じません。神奈川県の去る五月一日現在の推計人口が大阪府を抜いて、なんと八百八十二万三千余人で、東京に次いで初めて全国二位になったのです。今から三十年も昔の昭和五十年に私は神奈川県議会議員に初当選しました。その時の県人口は六百十万人と記憶しています。三十年間で実に二百八十万人もの人口増加でした。当時、水資源の確保のためのダム建設や県立高校の百校増設など人口増加に伴う対策が真剣に議論されていたことが思い出される、とともに人口抑制策も盛んに議論されましたが、経済が優先されたためか、現実には一向にブレーキがかかる様子もありませんでした。
今や首都圏は東京、神奈川、千葉、埼玉にとどまらず、茨城、栃木、群馬も新幹線や高速道路等の交通インフラ網の整備により、一日行動圏、通勤圏に入り、いわゆる関東の一都六県が、首都圏を形成し、その人口たるや四千万人に達しております。道路網、鉄道網、航空網、海運網に加えてITのネットワークで東京圏を起点として、大阪・神戸に至る東海道メガロポリスが形成され、日本全体が名実ともに一日行動圏の巨大都市の時代になったと申せましょう。
東京圏への凄まじい一極集中の反面、過疎化と高齢化が同時進行している地方や農山村部は地域社会の崩壊に直面しているのです。私の出身地の北関東でさえ事態は深刻です。地方の衰退は日本の衰退です。首都の知事としても日本の将来のために憂国のご配慮をお願い申し上げます。
もはや、あなたがこだわり続ける古典的な首都の概念規定や集中・集積が極度に進んだ東京が首都であり続けなければならない必然性は完全に遠い過去のものとしなければならない現実が差し迫っているように切実に感じております。したがいまして、首都圏でグローバルイベントのオリンピック開催は人口増と集中を促し、問題が多すぎ、その禍根がことのほか心配でございます。
私は今までに、四十七都道府県すべて訪問し、特に国会等の移転の委員長として、移転先候補地すべてをつぶさに視察して、美しい日本の豊かな国土を生涯の誇りとしております。このすばらしい国土という資源の有効利用は政治や行政の義務であり責任です。首都と地方との健全なバランスを取るためにも、首都機能を地方へ移すのは当然のことですし、それに有害粉塵に加えて、アトピーの蔓延、皮膚がん、花粉症、光化学スモック、ヒートアイランド現象などあなたが強調している殺人的環境汚染からして待ったなしの天命でもありましょう。同時に、それは奇跡の高度成長の帰結、歴史の必然と考えざるを得ないのでございます。首都の知事は現実を直視し、正確な認識のもと日本のバランスの取れたご主張が極めて重要と存じます。― インターネット社会とは、やはり集中・集積でしょうか ―
インターネット元年は一九九五年と言われています。インターネットはまだ十年ほどの歴史と承知しております。この普及は驚異的でございます。複合変化の今や、一極集中から多極分散は日本の歴史的な不可避の課題となりました。そのIT革命たるや私たちのアナグロ世代の思考や発想を超え、全く新しい文明社会が拓けようとしています。インターネット社会ですから、黒川紀章氏も指摘の通り、私も首都・東京に一点集中・集積の必要性など全くないと考えます。
インターネットは世界中のコンピューターを繋いで、加入者の間で情報交換ができるようにした国際的な通信情報のサービス組織であり、ITの分野では、時間と距離が限りなくゼロに近くなった、と同時にパソコンとケータイという端末機により無限の拡がりを見せつけております。したがって、コンピューターの時代、インターネットの社会は集中・集積を回避して、分離、分立、分散するベクトルが有効に作用するものと考えております。私の考えはあなたのご認識とは全く逆でございます。集中・集積を排除して分離・分散・分立こそコンピューター、インターネットの威力ではないでしょうか。集中・集積による過密の解消こそコンピューターの発展の大きな理由と、私は考えております。
ぜひお願い申し上げておきたいことがございます。首都・東京都の知事は、ひとり東京都の知事だけではなく、日本の首都の知事であります。首都は日本全体の顔であり、頭脳であり、心臓であります。首都の知事は、大局的な視野に立って、地球社会展望し、日本全体を念頭に入れて、鋭い洞察力で来るべき新しい文明社会に対応する、誤謬ない判断と公正かつ公平な主張をしなければならないと存じます。経済大国の日本の首都は単純なものではございません。多様性、複合性、多元性など複雑な要素が麻のように入り乱れている巨大な妖怪とでも言える存在なのです。この実態と時代の認識を誤り、混乱したら、それこそ国に弓を引き、国家を毀損することになり、日本の衰退に直結し、子や孫の世代まで末長く、取り返しのつかない禍根を残すことになるでありましょう。― 東京は巨大な反吐なのですか ―
そこで、あなたは今の東京、首都の東京、集中と集積の東京、超過密の東京に異常なこだわりと執念を燃やしております。それにもかかわりませず、あなたは最近著の「日本よ、再び」の中の「二枚の写真」で、こう述べておられるのです。江戸時代と江戸社会を絶賛した挙句、「それに比べてこの現代、都庁の屋上のヘリポートから撮った三百六十度のパノラマ写真の醜さは逆に息をのむものがある。それは一言で言って巨大な反吐としかいいようがない。緑を抹消し代わりにコンクリートででっち上げ、原色のネオンや看板の氾濫した東京の醜悪さは、これをかつて世界最大の人口を備えながら、あの雅な江戸を作った同じ民族の後裔がなし終えたものとは想像し難い」と嘆かれ、今日の東京を築いた世代を糾弾しておられます。誰が何んと言おうと、言論は自由ですが、こともあろうに、日本の首都・東京の現職の知事が、都庁舎の屋上のヘリポートからの眺望を巨大な反吐と言葉を尽して高飛車に罵っておられます。
私は、終戦直後のあの焼け野ヶ原の東京の惨状を直接目にした世代です。あの廃墟と虚脱の中から立ち上がって奇跡の経済成功を収め、その牽引車が東京だったのです。日本人にとって東京はかけがえのない知恵とエネルギーの源泉でした。日本を今日まで引っ張った機関車でした。あなたはその東京を理解に苦しむ言葉をもって、反吐と断じたのです。私には文豪の石原都知事の発想と感性が理解できません。集中・集積の効率に異常に執着をしながら、その一方で東京が巨大な反吐とは何とも悲しい話ではありませんか。みどりは少ないにしろ、江戸時代以来四百年間も日本人の魂と知恵とエネルギーが注がれ、権力者であろうと、全く名もない庶民であろうと、日本人の血と涙と汗の集中・集積の結果が今日の東京の姿ではないでしょうか。先に引いたあなたの綴った文章を一読して、率直に申して私は息を呑みました。日本人の魂と弛まぬ営為を否定したと申せましょう。江戸を築いた同じ民族の後裔がなし終えた、と決定的に断罪しているのです。あなたも後裔の一人であり、東京選出の国会議員を二十五年も勤められ、とりわけ主要閣僚まで歴任され、その上、既に都知事職を七年間も勤めております。文人としての、政治家としてのあなたの責任は一般人と異なって測り知れないほど大きいと申せましょう。あなたの責任はどのように考えたらよろしいのでしょうか。戸惑ってしまいます。戦後のあの廃墟と荒廃の中から日本人は立ち上がったのです。あなたもこの歴史の有力な一人として、事実の生き証人として十分ご承知の筈であります。
そこで、私は新宿まで電車で三十分ほどの所に住んでおりますので、早速、あなたが吐き捨てた「巨大な反吐」を確認すべく、都庁舎の展望階に昇り、何回もそのフロアを廻って窓外の「巨大な反吐」を眺めました。すぐ近くは、手が届くほどの新宿副都心の超高層のビル群です。現代建築の技術と感性の粋の集中と結晶を見る思いでした。建築について全くド素人の私ですが、設計者にしろ、建設者にしろ、トビ職にしろ、土工にしろ、建設にかかわったすべての人びとの心血が注がれて完成したものでありましょう。その美しさと迫力にあらためて魅せられる思いでした。
そして、さらに視界を拡げて見渡せば、なんとも過密で多様なビル群の風景であります。形も高さも大きさも色彩もまことに多様で、なんとも多彩なことでございます。その光景は、そこで人生を紡ぐ庶民と首都・東京の多様性、複雑性、多元性、複合性を余すことなく物語っておりました。東京の知恵と活力とエネルギーはここにあるのでしょう。そこには自然人、法人を問わず、貧富の格差にもかかわらず、思想信条の相異にもかかわらず、都民、地方住民にかかわらず、人びとの必死の営みが透けて、浮かび上がって見えてくる思いでありました。
そして、さらに遠く地平に視線を投げやれば、大気の汚染によるのでしょうか、遠景はミストがかって太平洋や八王子の高尾山や奥多摩や箱根や丹沢などの山なみの風景は視界に入ることはありませんでしたが、ぼんやりと浮かび上がって私には見えるような思いでした。日頃馴れ親しんでいる山や海のせいか、想像は限りなく拡がりました。― 首都・東京の多様性、複合性、複雑性 ―
何回となく、展望階を廻り、その眺望を確認しましたが、「巨大な反吐」の光景は私の視界には現れませんでした。却って眺望を楽しむ観光客の姿、しかも、日本人、東洋系の外国人、白人黒人等々、グローバル化が進み、参観者の多様な人々に目を見張る思いでした。今日、都庁は庶民に定着した恰好の観光スポットと思われました。
東京は今や日本人の首都・東京であると同時に、世界のメガロポリス・東京のように思えるのですが。その、みんなの東京を自虐的に「反吐」と決めつける現職の都知事の感性と神経がとても理解できないのです。巨星と凡人との違いなのでしょうか。日本人は、だれも、どこにいても、いくつになっても東京に強い憧れを抱いているのではないでしょうか。私も少年の頃、東京に憧れ、とてつもなく大きな夢をいだいて、青雲の志をもって上京した者の一人でした。
今年でちょうど六十年間、縁がありましてその憧れの東京の隣の川崎で、神奈川都民と呼ばれながら、不器用に人生を送り、東京圏は第二のふるさとであり、活動の拠点、人生の拠点でもありました。そしてすでに墳墓の地でもあります。
私は外国の首都を数え切れないほど訪ね歩きましたが、あなたとは反対に東京の美しさ、街並みの美しさ、日本の美しさと清潔さは胸を張って誇れ、日本人に生まれたことをとても嬉しく思って生きてきました。
今、ペンを走らせながら最も深く思うことは、東京の、首都圏の魅力と活力の源泉は一体何処にあるのでしょうか。
かつて、ブラジルのサンパルロ、ブラジリア、リオデジャネイロ、アルゼンチンのヴェノスアイレス、チリーのサンチャゴそして、アメリカのワシントンとニューヨークの諸都市を視察した時の感動と驚きでした。それらの国々は、移民でできた国々であり、それらの大都市の多様性、多元性、複合性、複雑性が絡む人間の逞しさや凄まじさ、そこから生まれ出ずる知恵と活力と社会のしたたかさは今日の東京そしてタフな首都圏にも通ずるように思い出しております。
都庁舎の展望階で眺めました首都・東京の多様性、多元性、複雑性、複合性こそ、東京のダイナミズムでありバイタリティであり、四千万人の首都圏という巨大なメガロポリスに発展した推進力であり原動力でありましたと、つくづく思うところでございます。― 巨大な反吐の東京でオリンピックですか、 ―
あなたは、自ら断じた醜悪極まりない東京で、これから、さらに、巨大なメーンスタジアムなどの集客施設を作り、人口増加を促すオリンピックを開催しようと張り切っておられますが、巨大な反吐の上にさらに緑を抹消し、コンクリートででっち上げ、反吐で上塗りする東京オリンピックを開催して、為政者としての使命感と美的感覚は満たされると本気で考えているのでしょうか。新聞の報道によれば、東京オリンピックでは「都市文明と日本の技の表現」を基本理念として、その目的を「日本の国家社会の成熟の可能性を提示」と「国威発揚」とあなたはご発言されておられます。ふと、一九三六年の第十一回オリンピック・ベルリン大会の「ナチスのプロパガンダ」との国際的な大論争を思い出してしまいます。
今、グローバル化の進む中、国際社会の中で埋め尽くすことのできない文明や宗教間の対立と経済力・技術力の格差、富の偏在、教育文化の差異、それらの格差と差異に苦しみ、悩んでいる地球社会の中で、経済大国として、平和国家としてすでに圧倒的な勝ち組になっている日本が、その勝ち組の都市文明、先端技術と国威高揚をあらためて東京という過密都市で、オリンピックという人類のイベントによって世界に誇示する必要性、必然性があるのでしょうか。見方によれば勝者・強者の賭りとか傲岸、不遜としか映らないかとの不測の誤解を孕んでいるとも懸念されます。今日の地球社会では勝者・強者に最も強く求められることは謙虚な振舞いであり、謙遜と謙譲の美徳であるように思われるのですが。― 殺人的大気汚染の中でオリンピック開催ですか ―
さらに、私たちの首都圏の過密による環境の汚染と破壊の弊害は枚挙にいとまがありません。それについても環境長官と運輸大臣を歴任されたあなたが誰よりも知り尽くしている筈なのです。あなたは最近著「日本よ、再び」で身の毛がよだつ空恐ろしい現実を書き綴っておられるのです。その「国よ、動いてくれ!」では現実の為政者としての神経や感覚には只々驚くばかりでございます。その一部を転載せずにいられないのです。
「湘南の海で遊んで東京に戻ってくると、第三京浜の都筑インターを過ぎた辺りから東京の匂いがしてくる。新鮮な海の空気とは対照的に胸が詰まるような、えもいえぬ匂いだ。そして夏場は、都心を囲む環状線の上にそそり立つ分厚い雲が見える。熱しきった地面にたちこめた排気ガスの作る雲だ。昔は見えなかった大都会の真ん中に立ち上がる雲の塊は、大気汚染に喘いで歪んだ大都会の象徴だ。同じ状況が首都圏を構成する隣の神奈川、千葉、埼玉県の主要部にも見られる。
こうした地域に住む住民の健康には著しい変化が見られ、東京で生まれた乳幼児の多くがアレルギーを抱え、女性の成人にはアトピーが蔓延している」と、いかにも文豪らしいレトリックで、迫真の説得力でございます。
続けて「その主な原因はディーゼル車の排気に含まれる粉塵であって、東京に限ってみてもその量は一日の五〇〇CCのペットボトル十二万本という想像を絶する量なのだ。その結果、東京は隣の千葉県に次いで粉塵による肺癌の発生率は日本で二位という惨状を呈している。都内の喘息患者の数も平成元年に比べて二倍に増えてしまった。」何んとも背筋が凍りつく犯罪的汚染の実態でございます。
さらに「来春にはまた首都圏に蔓延するだろう、過去にはありえなかった花粉症が、都会における排気ガスの粉塵との複合感染作用によるという原理はすでに東京都による科学調査で明らかになっているが、さらに悲しいのは、動物実験によって妊娠中に粉塵に曝露された動物の胎児は出生後、他に比べて花粉症になりやすく、加えて練習能力に著しく欠ける。それは恐らくそのまま人間に適応し、都会で育った子供と田舎で育った子供の能力較差ともなるに違いない。」と生々しく大気汚染の実態とそこから派生する、何んとも恐ろしい人体への影響を記述されておられます。こんな惨胆たる悲劇の環境破壊をご承知というより、熟知されておられます。この、あなたの文章を読み進んで息を深く深く呑んだものです。(二〇〇三年十月六日) この深刻な汚染の中で、巨大で、しかも恒久的な集客施設を建設してオリンピックを開催してさらに人口増加と過密に拍車をかけるのでしょうか。あなたのご指摘の深刻な大気汚染からして後世代に亘って殺人的なイベントとして厳しい指弾を受けはしないでしょうか。とても心配でございます。JOCをはじめ選定に際して選定委員の方々もこうした首都圏の大気汚染の実態を都知事から突き付けられてひどく困惑し、大きな責任を感ずることでしょう。しかも、現職の都知事による悲痛な告発もございます。
さらに、同様のことを力説しておられます。あなたは二〇〇四年十月四日に例の「日本よ、再び」の中で「国政の怠慢」と題して大気汚染の恐るべき実態を指摘して、国の対応に強い不信や不満を表し、他人事のように国政を痛罵しておられるのです。「人間が進めてきた文明が醸し出した環境破壊は、地球温暖化、皮膚癌やアトピーの蔓延、氷河の溶解による氷河ダムの決壊、南太平洋の砂州でできた国家の消滅等々、もはや歴然とした形で出現している。文明が破壊しようとしているものを防ぐ手立ては同じ文明によるしかないが、しかし前に不可欠なものはまず、それを超えようとする志に他ならない。そして、その強い意思は、現況への正確な認識にこそ支えられなくてはならない。今回の石油連盟のあくまで自発によるサルファーフリーの前倒し精製はそうした志の発露に他ならない。それに比べて環境と健康という国家的課題に関しての国政の対応の鈍さは、許せぬなどというより空恐ろしいほどのものだ」。「国に依頼しても動かぬので都独自で実験してみた結果、排ガスの有毒粉塵に晒された母体から生まれたマウスの子供は他に比べて運動能力に劣り、回転する車輪からすぐに転落してしまい、他の能力にも格差がみられる。ということは同じ哺乳類の人間にもそれがあてはまる可能性が大きいということで、空気のきれいな田舎と首都圏以外の土地で育った子供には将来健康上の様々な格差が露呈してくるかもしれない。」只々汚染の恐るべき現実に言葉もございません。あなたがご自分の著書をもって力説している、これほどの環境破壊と汚染の中でオリンピック開催が許されるものでしょうか。JOCと競技団体は両都市を視察中とのことですが、この殺人的な汚染はコンセプトや施設以前の問題であり、選定に当っての最大のポイントになるでありましょう。選定委員の覚悟と良識が問われるかも知れません。兎に角、現職知事が強調している、人間の生命と存在にかかわる極めて重い課題でございます。
「石油連盟の前倒し協力もそうした事態を勘案してのことだろうが、ここまで来ているのになんで全国一律の規制に踏み切らないのか。これは怠慢というよりも現実感覚の欠如、すなわち行政者としての失格であり、ゲオルグの言葉が暗示した人間としての志の喪失としかいいようない。
この国はいろいろな意味で、いかにも危うく頼りない国になりつつある」と大気汚染の恐怖を慨嘆され、きびしく警告を発しております。
あなたは、この空恐ろしい深刻な汚染の実態を熟知しながら、怠慢というより、現実感覚の欠如であると糾弾し、国にその責任を押し付けて、都知事たる責任者が志の喪失などと論じて許されるものでしょうか。国であろうと、都道府県であろうと市町村であろうと、差し迫っている住民の環境と健康を守るのは為政者の最大かつ最優先の課題ではないでしょうか。国が怠慢で動かぬとのことでしたら、首都圏の住民の環境と健康を守るのは、第一義的には都知事をはじめ、首都圏の自治体の首長である為政者の課題であるべきと存じます。国と地方自治体の連帯責任を自覚すべきではないでしょうか。あなたは首都圏の自治体の、否、全国の自治体の首長の先頭に立って為政者として全身全霊を傾けて解決に努力していただきたいと切実にお願い申しあげます。
水質汚濁や大気汚染や土壌汚染などの環境破壊の悲劇を繰り返さないために、あなたは長年政権党にあって、環境庁長官や運輸大臣を歴任され、政治や行政に精通しておられ、そして今や首都・東京の知事のご要職にあるあなたの責任は歴史的に限りなく大きく、重いと言わざるを得ないのでございます。あなたの思想、価値観から意識に至るまでが、現実に都政に重大な影響を与えております。首都・東京の知事として全国民に対して末代に至るまで責任を持つという確かな志をしっかりお持ちの上のことと信じております。東京に隣接する神奈川都民として、あなたの政治的、行政的手腕と国民的影響力に心から期待を申し上げる次第でございます。― 複合変化の今日こそ発想と価値観の転換を ―
今日、想像をはるかに超える速さで、予測できないほどの複合変化が進展しております。
それは一九八九年、平成元年に火を噴いたと認識しております。戦後の世界を律してきた東西の冷戦が名実ともに終結しました。
先ず、バブル経済の崩壊と符節を合わせたかのように、グローバリゼイションは経済金融に限らず、すべての分野で急速に進んでおります。
さらに、デジタル、バイオ、ナノなどのハイテクノロジーと総称される分野での開発、普及は日進月歩の進歩・発展を遂げております。
加えて、わが国ではかって経験したことのない少子高齢化社会が迫り来ております。同時に人口減少の強烈なインパクトが加速されます。
その上、国民の意識や価値観からライフスタイルに至るまで、すべての分野で多様化が進展・深化しております。
右に挙げました、主に四つの変化が相互に激しく刺激し、影響し合って複合変化となって私たち襲いかかって来ているように思われてなりません。その恐るべき複合変化も始まって既に二十年ほど経ち、今後十年二十年の間の、二十一世紀初頭に内外の社会が、そして国民がどういう状況に変化しているか、その分野の専門家さえ、予測も予断も許されないと強調されております。
そうした難しい複合変化が急速に進展する今日、私たちアナグロ世代のやるべきことは高度成長期の集中、集積の効率・能率万能主義と強者・勝者の力の論理から脱却して、静かで、落ち着いて、心身の寛ぎや安らぎや癒しという新しい時代の価値体系とした成熟の文明社会にシフトすべきではないでしょうか。黒川紀章氏も指摘しているように、複合変化は暖衣飽食の日本に対して共存、共生、共栄の哲学を要求していると考えます。軟弱と一喝されるかもしれませんが、そこにこそ、大国・日本の風格と品位が備わり、グローバル社会の中で、安定した尊敬を集め、新たな文明の旗手として、確かな存在感を示すことができるのではないでしょうか。
かつて、私は「日本再構築そのT」、副題として「地球社会と共に生きる文化の国を目ざして」を出版し、(財)日本図書館協会の選定図書に選ばれました。兵器がここまで進歩した以上、どんなことがあっても力の衝突は許されません。平和以外に生きる道はないと考えております。
日本を取りまく、危うい要素・要因はまことに多様ですが、資源小国、食糧小国に加えて、市場は広く世界に依存している経済大国、技術大国、平和国家として国際社会に控え目に臨んでいる日本は信頼と尊敬こそ万事の本を為すように思われます。地球社会に通用する日本の高邁な志こそいま求められていると存じます。
あなたは、今日までその豊かな才能や恵まれた境遇から、恐れを知ることもないように、ひたすら強者・勝者の力の信奉者として自らの信ずる道を堂々と歩まれ、経世、警世の国士的なご主張を貫いてまいりました。まことに逞しく、頼もしく立派な生き方と存じます。一極集中で、一人勝ちした東京都の知事を勝ち組のトップランナーのあなたが勤めておられます。首都圏の住民にとりましては、都政は直接的、間接的に様々な影響がございますので、首都の知事として広く全国に気配り目配りをお願い申し上げます。正に、オリンピック招致も例外ではございません。今、各方面で格差が高い関心を集め、国や社会のあり方や国民の本質に迫る論議になっております。
首都圏サミットのメンバーであります松沢成文神奈川県知事、上田清司埼玉県知事、中田宏横浜市長、阿部孝夫川崎市長は現役時代の肝胆相照らす仲の同志でした。これら首長は既に東京オリンピック開催に賛同して施設使用をすでに了承しているようですが、首都圏の超過密の実態とあなたが力説しております極めて深刻な環境汚染の惨状を直視して改めて検討をいただくべく、各首長を歴訪したいと考えております。― 東京と福岡の一騎打ちはおかしいですね ―
《オリンピックは国民的、国家的テーマ》
去る六月三十日に、東京都と福岡市が開催概要計画書を日本オリンピック委員会(JOC)に提出し、八月三十日に選定委員五十五人による無記名投票を行って候補を一本化する。と各メディアは大々的に報じております。
オリンピックの開催都市は確かに東京か福岡の二者選択のことで、第一義的には両都市がそれぞれ優位性を競うのは当然のことですが、オリンピックは世界のアスリートが集う巨大なグローバルイベントです。最終的に、どちらの都市に決定するにせよ、日本国にとっても世紀の巨大なイベントであり、「東京と福岡の一騎打」などと高みの見物を決め込む傍観者では許されないと存じます。国家的、国民的な一大イベントですから国益を踏まえて、国も全国の自治体も自主的・主体的にそれぞれの意見を明確に表明することはとても大事なことと存じます。
この度のオリンピックの招致合戦を機に、一過性の話題に終わることなく、かけがえのない美しい日本の「国土の均衡のとれた有効利用」、戦後間もなく始まって、昨年で中止となった全国総合開発計画に見る「一極集中の是正と多極分散型国土の形成」さらに「一人ひとりの東京論」「みんなの首都論」等々国民的な白熱の議論をぜひ、巻き起こしてほしいと存じます。
さらに、私が衆議院議員在職中に深く関った国会等(首都機能)の移転につきましても、あれからすでに冷却期間が十分に過ぎましたこの絶好の機会に、冷静に、慎重に、しかも明治維新の大改革に示された日本人の高い志をもって、移転の結論を導き出してほしいものと熱く願望する次第でございます。絶対反対を表現し、首都機能の移転は国家に弓を引き、国家を毀損することだと決めつけられましたが、価値観の転換が迫られている複合変化が急速に進展している今日、首都機能の移転、国会等の移転が改めて、深刻にとわれていると真剣に考えざるを得ないのでございます。
特に、インターネット元年から丁度十年が経ち、通信技術の進歩とともに、パーソナルコンピューターの普及が進み、今では幼稚園児まで慣れ親しみ、小学校入学と同時にパーソナルコンピューターの時間が用意されており、インターネットは極く日常の世界に入り込んでおります。日常生活の至る所にコンピューターがあり、それらを相互にネットワークで結び、便利な機能を果たす豊かなユビキタス社会は既に到来しております。
さらに、複数のコンピューターをネットワーク状に結合し、データや処理を分散させておく分散処理方式から、自立分散協調システムまで進歩しているとのことです。さらに、パソコンとともに、ケータイ電話も爆発的に普及し、インターネット社会というより、今日はユビキタス社会となり、発想も価値観も人生観も地球観も国家観も首都観も都市観も、正に革命的な変革を迫られていると申せましょう。文字通り、新しい文明社会が拓かれたと言っても過言ではないと存じます。
あなたが首都機能移転に対して絶対反対を宣言した、衆院の特別委員会からほぼ六年、参院の特別委員会から四年余り経ちました。その間ハイテクをはじめ複合変化は凄まじいものでした。その複合変化の中で、改めて首都機能移転を唱えることは、不可避のことと存じます。それも、やはり歴史を冒涜することになるのでしょうか。― やっぱり集中と集積と国威の高揚ですか ―
「優位性を競う開催概要計画書のポイント」はレトリックではなくコンセプト・理念と存じます。東京、福岡の両都市の計画書に共通するのは「コンパクト五輪」で、時代の要請に素直に応え、当然のことと評価されると存じます。
そして、ハード面の大会会場も片や東京湾臨海部、片や博多湾臨海部で全く共通した立地です。ともに七〜八キロメートルに施設を集中させる計画も酷似しております。
こうした大イベントに常に見え隠れするのが、商業主義であり、取り沙汰されるのが経済効果でありますが、前回の東京オリンピックとは異なって経済大国の飽食の時代となった今日、業界が強い関心を示したとて、今日の経済大国・日本では選考の条件にはなり得ず、強調すれば返って減点要因になりはしないかとさえ考えられます。
それに、空港にしても、宿泊施設にしても、財政面にしても、現時点で比較しても全く無意味であり、外形的には首都・東京の圧倒的優位性は否定すべくもございません。これからのオリンピックは、複合変化を見据えて、国益、地球益を熟慮の上、判断すべきと存じます。
選考の最大のポイントはあなた自身が指摘する首都圏の殺人的な大気汚染と開催の理念・コンセプトであると存じます。JOCや五十五人の選定委員の方々の理解と支持を得ることは勿論ですが、最終的には国際選考で勝つ理念でなければなりません。オリンピックは人類の抱える多様性、多元性、複合性に加え極めて複雑なグローバルイベントでありますから、可能な限り多角的な検討が大切と存じます。
先ず、今や複合変化が地球社会を覆い、人類共生・共存・共栄の哲学に貫かれたコンセプトが不可欠と存じます。今日六十億人を超えた地球社会では、文明・文化の衝突に伴うテロの頻発に手を焼き、飢餓に苦しみ、貧困や疾病に悩み、その上、新しい国造りに困難を極めている国々が存在し、埋め尽くすことのできない富の偏在、経済力・技術力の格差、教育の格差がグローバル化の進む中、殊のほか際立って痛切に感じられております。
また、戦後の冷戦構造の中で日本は西側陣営の有力国家として、対米、対欧に重点を置いて外交関係を展開させてきましたが、グローバル化と共にアジアの近隣諸国との関係が相対的に重要性を増してきました。したがってアジアの近隣諸国により配慮したバランスのとれたスタンスが極めて重要なこと言うまでもございません。
あとは、日本の国益、地球益をふまえて、選定委員の皆さまの賢明な判断に心から期待するところであります。
すると、報道によれば、東京都の開催コンセプトや目標の「日本の国家社会の成熟の可能性」「都市文明の英知と日本の技が結集した五輪」「技術力の成熟都市」「東京しか持ち得ない集中と集積のメリットを最大限に生かす」などを前面に揚げて日本の先進性や国力を誇示し、「国威発揚」を目標としたことが、国内ではともかく、果たして世界各国の理解と支持を獲得できるでしょうか。強者の論理や経済大国の先進性の驕りが透けて見えることが私には気になります。先にもちょっと触れましたが、「ナチスのプロパガンダ」を想起して、「経済大国のプロパガンダ」などと揶揄され、反撥されないでしょうか。また、昨年七月に副知事を辞任に追い込まれた、あなたの腹心の浜渦氏がこの度都参与に就任したとのことですが、その辣腕・力量を五輪招致に期待してのことの記事がありました。側近政治の復活との懸念もあるようでございます。
一方、福岡市は「アジア大陸に最も近い地の利を生かし、「日本とアジア、世界をつなぐ」「アジアの融和と発展」「自然や人間性に恵まれた福岡から日本の多様性や歴史、文化をアッピールしたい」などと、アジア近隣から世界融和と共存共栄のスタンスを明確にし、日本の多様性や文化・歴史を前面に打ち出したことは東京都の国威発揚や先端技術の誇示とは極めて対照的で興味深いことでございます。
東京都と福岡市、それぞれの規模も歴史も特質もかなり異なる二つの候補都市、どちらに決定されても、オリンピックは国家的イベントですから、国も総力を挙げて、日本開催に取り組んでほしいと存じます。
この機会に、長々と私の思いを綴って参りました。ひとえに、子や孫たちの世代の幸せを願ってのことでございます。お釈迦様にご説法の様な点も多々あり誠に恐縮しております。また、オリンピックの開催に関することでございますので、公開書簡とさせていただきました。どうぞ、ご容赦のほど偏にお願い申し上げます。同時代を生きた雑草的庶民派の声をお受け止めくだされば誠に幸甚に存じます。今ペンを置くにあたりまして「知信 知分 知恩 知足」の心境でございます。
炎暑に向かう折柄、東京の暑さは格別でございます。どうぞ、ご健康には呉々もご留意の上益々のご活躍を心から祈念申し上げます。敬具
平成 十八年 八月 一日
都市アナリスト永 井 英 慈
東京都知事
石 原 慎太郎 様