「わがライフワークの地方分権」


 今のような大きな中央政府と小さな地方政府の仕組みが良いか。それとも、小さな中央政府と住民の選択による適正規模の地方政府が良いか。画一化をすすめる今の複合中央集権型の日本か、それとも多様な価値観と地域の特性を尊重する分権型の社会を目指すのか。内政分野は権限、財源、人材を可能な限り、地方政自治体に移して、真の地方自治を確立し、一方、国としての対外対応力を強化するとともに様々な危機に総合的に対応する日本の総合安全保障体制を確立するために、大胆な地方分権により、徹底的に日本をリストラクチヤー(政治、行政、経済、社会の構造の再構築)して、住民の創意と活力を引き出す分権型社会を創造するか否か、である。日本リストラを迫る選択肢である。だが、断っておかなければならないことは、地方分権は自治権、自決権の拡充であって、バラ色の夢ばかりではない。それに伴う責任も義務も忍耐も覚悟しなければならない。危機の分担も負担の選択も迫られるもので、甘美な幻想に陥ってはならない。

 二年ほど前、月刊誌「正論」誌上で、《集権対分権》を究極の政治の其軸として世に問うたことがある。今、歴史的な転機と阪神大震災の惨状を目の当たりにして、その主張は今の日本の政治に切実に求められているように思われてならない。

 村山内閣はこの三月十日に「地方分権推進法案」を国会に提出した。新進党も対案を提出した。が、それは、官僚の知恵と政治の惰性の産物か知らぬが、具体的な方向性、原則、青写真は全く示されていない。機関委任事務や地方事務官制度の廃止に触れられておらず、国の二重行政の地方支部局の地方移管など地方分権の最低限の具体的な改革さえも盛られていない。残念ながら野党の対案もしかりだ。地方分権はこの段階ではない。全体像・具体案が提示されなければ、国民は理解もできず、議論もできないではないか。危機克服、危機管理を重視した、日本の生き残りをかけた日本リストラヘの政治のリーダーシップの責任や気概なそ感じられない。ここが危険だ。私は神奈川県議時代から地方分権の必要性を痛感し、「我がライフワークの地方分権」と心に秘めて、非力ながら構想してきた。折しも統一地方選挙の真最中だ。これからの国民的な論議の一石ともなれば、との切なる思いにかられ「新しい分権型社会を創造するための日本再構築基本法案」(通称・日本リストラ法案要綱)をまとめ上げた。私の提案は一見過激に思われるかも知れないが、日本は、人口は世界屈指の大国に加えて、経済大国、長寿大国となり、価値観や意識は多様化して、成熱社会の段階に入り、究極的には、地方自治体とその住民の創意やエネルギーに頼らざるを得ず、私の提案の通りの分権型社会に移行せざるを得まいと考える。地方を信頼することは特に重要だ。日本が衰弱し、危機を克服することもできず、にっちもさっちも行かず、破局に直面して、大量の流血の惨事を避けるために提案していることを是非、理解していただきたい。