複合的に押し寄せる危機的要因


 我が国にとって危機的要素をはらむ歴史的な時代の転換は、一九八九年、平成元年から顕著に現れ始めたバブル経済は、高度経済成長の終着点ともとれる様相を見せ、投機が投機を呼んで、地価、株価、ゴルフ会員権、絵画、高級家具などの異常な高騰で、カネがカネを求めて流れ狂った。ワラント債、転換社債、変額保険などに代表されるデリバティブ(金融派生商品)はダク流のように氾濫した。その後遺症はなかなか解消されず、金融秩序のクラッシュ(破局)の危機が叫ばれ深刻な事態と言える。日本経済の命取りとも思われる経済・金融運営の失敗にもかかわらず、その責任の所在も明らかにされず、その責任が追及されることもない。

 二極構造の崩壊によって米ソ超大国による全面核戦争の危険性は遠のき、国際的な政治・軍事・安全保障の面では、緊張が緩和されたが、問題は世界経済の構造変化と日本経済への影響である。中国十二憶人、ベトナム七千余万人など労働市場の一元化は、二ースやアセアン諸国の追い上げとともに、日本経済はきびしい対応を避けられまい、と深刻に考えたものだ。

 冷戦の二極構造をそのまま、日本に持ち込んだ形の我が国の政治構造、《保守対革新》の政治の基軸は冷戦の終結とともに完全にその基盤を失った。その後、《保守対革新》に代わる新しい政治の基軸を創築することもできず、政権は目まぐるしく変わり続け、混迷を深め、国民は政治への不信を増幅させ、なす術を知らない状態にある。政治の危機は、日本の危機そのものだ。

 「なんと言っても平成元年は凄い年だった。波乱の昭和から平成へと元号が変わっただけじゃあない。後世の史家はこの年をどう総括し、どう評価し、どう歴史の中に位置づけることだろう」 この年を境にして、今なお、激動・激変が続いている。

 中国は、高い経済成長を続けているが、ポストケ小平の時代がどう展開するか、全く不透明で、南アジア地域では、中国の軍事力増強も憂慮されている。難民の発生の危険性を指摘する識者もおり、日本の安全保障を憂慮する声がある。本格的な危機管理が叫ばれながら、今もって対応は極めて鈍い。

 こうした、激動の渦巻く折も折り、地球環境、資源、エネルギーなどの面で地球有限の時代が鮮明になってきた。加えて、世界の人口は爆発的に増え続けている。地球有限に伴う意識、価値観、価値体系、生活スタイルは根底から変革を迫られることになろう。先進工業国・日本は辛い。

 このような、経験したことのない難問に加えて、飽和点に達した観のある日本経済は、バブル経済の崩壊による平成の人不況に突人した。円高が直接の要因となって産業の空洞化が現実の問題として日本経済を直撃しようとしている。デフレーンョン経済の傾向を強める中で、確実に進んでいる価格破壊はなんとも不気味である。雇用はもとより日本の産業構造、経済体質の根本的な変革が喫緊の課題として迫られているように思われる。終身雇用や年功序列の賃金体系の崩壊は着実に進んでいる。食糧の自給と食糧安全保障はどう確保するのか。日本の資源安全保障に不安はないのか戦慄を禁じ得ない。

 これから、本格的な高齢化時代となり、全人口とともに若年労働力が減少する中で、どのようにして日本経済を支え、福祉社会を支えていくのかデフレ経済の傾向の中で、税収見込みは極めて悲観的で、財政危機は深刻だ。新しい文明社会の扉を開くと期待を寄せるマルチメディアの分野もリーディング産業としての芽は余りにも小さく弱い。その上、学生の理工離れで技術開発・技術継承も困難な状況になっている。さらに、戦後の復興と奇跡の経済成長を遂げたハングリー世代に代わって、「暖衣・飽食の時代」に育った新人類、エイリアンなどと呼ばれる世代が果たして、激変に耐え、国難を克服する精神力とエネルギーを蓄えているだろうか。主な危機的要因を孕む現象や問題点を網羅的に列挙してみたが、ここに重大な意味があると強調したい。なんとも恐ろしいことに、破局へのシナリオ、亡国のストーリー、日本沈没のイントロとして、追ってくるように思われてならない。これらの危機的要因を総点検し、その存在を改めて時代認識として日本国民あげて冷静に確認しなければならない。それらは一つ一つ解決するのさえ極めて困難であるが、探別なのは、今、私たちの日本では、これらの難問が同時進行する形で、複合的に押し寄せてきているのだ。しかも、その変化は想像をはるかに超える速きで進行していることだ。生き残りをかけた危機感のないところに改革のエネルギーは絶対に生まれない。危機意識のないところに生き残りをかけた決断はできない。