取り急ぎ要点のみ指摘したが、今の日本の中枢権力の構造と意思決定・政策決定のメカニズムは、長年にわたり権力が権力を呼び、人脈が人脈を作り、衆院・参院・内閣・与党・国対委・派閥・族議員・官僚組織・地方自治体・業界団体など朝野の中枢が巧みに合体して、利害が複雑に絡み合っている極度の複合集権体制と言える。この体制は境界の曖昧な巨大な中央集権が生んだ、大きな財源と経済規模と各種の規制を支柱とした強大な権力機構ではないだろうか。
見方によれば、それは国の予算と規制が生み出す利権が絡む利益誘導・利益配分の構造とのきびしい指摘もある。あるいはまた、時代の潮流と国民の期待に背く、生産と供給の論理に貫かれた統治構造、支配体制とも呼べるもので、そこには生活や消費の論理は全く組み込まれていない。この複合集権体制を細かく観察すると、派閥とか族議員とか国対委などはもともとインフォーマルの存在で、それらは中央集権と議院内閣制の生み落とした「鬼っ子」とも取れるが、それらは政策決定や予算編成はおろか国会運営から首相指名、組閣に至るまでオフィシャルな組織・機関と同等、否それ以上の権力・影響力を行使している。
国の意思決定の構造が歪み、国政が恣意に流れる危険がある。悪事、権謀が渦巻く得体の知れない巨人な伏魔殿のようだ、との嘆さ話を永田町に近い人から聞いた。本来、そうした体制や権力構造の弊害や問題点を検証し、解明し、集権体制の改革に真正面から取り組むべさ使命を負った野党も、冷戦とイデオロギー抗争に気を取られて実はその巨大な複合集権体制の一角に組み込まれてしまっているのが実態ではないだろうか。自社なれ合い、与野党なれ合いなどは不純な響きで、地下茎でしっかり結びついて利権構造を形成してはいないか。なぜなら、体制改革や分権への取り組みは全く見られない。また、この集権体制の中での報道機関と立法、行政、司法との関係やあり方までも問われ、きびしい指摘がされている。
驚異の成功を収めた強大な集権体制も発展途上の段階では威力を発揮してきたが、予算や経済規模が拡大し、成熟期に入り、国民の意識や価値観、ライフスタイルが多様化してきた今日、バブル経済の分析や責任追求もできず、一党長期政権の下でその体制そのものが行き詰まって、矛盾や弊害が複合的に増幅し累積し、体制の機能がマヒし、政治が閉塞状能に陥ってしまっている。加えてポスト冷戦と地球有限の時代に入り、対外対応力の限界を露呈している。
この状況は制度疲労などという生易しいものではない。体制疲労・体制腐敗そのもので、臨界占に達している、と考える。高名な政治評論家によれば、ワシントンの政治家は既にこの実態を十分承知している、という。地球社会に重責を負う大国の体制としてはきびしい指摘や注文が海外から飛び出てくるかも。道州制の創設と首相公選制を柱とする分権体制の『新年日本』は待ったなしだ。
『新生日本』の分権のキーポイントは、