●都市アナリスト宣言!●
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二、都市アナリストヘの導火線
〜〜 二十年も昔の論文が今・・・「指定都市を道府県から独立させよ」 昭和六十年九月号『中央公論』誌掲載
三十年を経て、民主主義の不毛地帯と化した指定都市が
道府県内にとどまる積極的な根拠は、もはやなにもない
迫り来る高齢化社会、高度情報社会に備えて、
いまこそ「新しいふるさとづくり」を目指し、第一歩を踏み出せみんなでつくろう新しいふるさと
○ みんなでつくろう心のふれあうふるさとを 信ずることのあまりに少ない時だから
○ みんなでつくろうみどりのしたたるふるさとを 母なる自然の失われゆく時だから
○ みんなでつくろう心のぬくもるふるさとを 恵みの少ない人々と共に旅する時だから
○ みんなでつくろう光のあふれるふるさとを 草の根のともしびかかげる時だから洋の東西を問わず、人々は、さまざまうたにふるさとを詩ってきた。これは、政令指定都市制度改革による「新しい大都市制度」の提案の原点である。
わが国は、戦後の"欠乏の時代"、復興期から経済の高度成長期を経て、今や"飽食の時代"、先端技術・高度情報社会へと激動激変の軌跡を描いた。価値観一は多様化し、異質の文明社会となった。とりわけ大都市の変容はすざまじい。人月集中の嵐とともに(さまざまな可能性を秘めて躍動し、変貌する都市の巨大なエネルギーに魅せられた反面、新旧住民の意識や価値観の大きな断層の中で苦悩することも多かった。無秩序な宅地化によるドーナツ現象、スプロール化に大きな疑問を感じていく間にも貴重なみどりは容赦なく失われていった。鮎が銀鱗を光らせた清流は死のドプ川と化した。無数の蛍が乱舞した夏の風物詩は消えていった。生活環境は劣悪を極め、同時に産業公害による環境問題が大きくクローズアップされた。ふるさと社会は音をたてて崩れ去っていった。
そして、物の豊かさが達せられた今、人間性の回復が叫ばれ、心のふれあいや安らぎが切実に求められている。冒頭のスローガンはこんな時代の流れの中で生まれた。巨大な都市社会にとって、日常生活圏としての健全な近隣地域社会(ふるさと=コミュニティー)の形成こそ最大にして深刻な課題だと考える。
昭和五十年春以来十年余り、私は、人口百万余の指定都市選出の議員として、県と指定都市との不都合な関係や指定都市制度の弊害や矛盾を感じながらも「新しいふるさとづくり」をめざしてきたが、もどかしさや苛立ちを覚え、違和感の募る毎日だった。
思い悩む、昭和五士二年夏、神奈川県の長洲一二知事は「地方の時代を求めて」という画期的な提言をした。新しい時代を拓こうとする気魂が迫る、意欲的な文明論として鮮烈な感動を与えた。長洲知事はその提言の中で、「大都市を分節することにより、大都市の中にいくつかの基礎自治体としての中小都市をつくり、大都市の中に自治を再生産しなければならない」と大都市の将来方向を大胆に提示した。当時すでに、人口七百万人を超えようとしていた巨大自治体神奈川の住民にとっては現実的な説得力をもっていた。それが、いつ具体的な施策として示されるか、期待と関心を寄せてきたが、未だに何らの具体策も出されていない。
また、第二次臨時行政調査会の最終答申にも、同様に期待と関心をもってきたが、その最終答申も、市町村の合併と都道府県行政の広域化による、地方圏行政機構の検討と自治体の減量化、効率化を述べているにとどまり、従来の発想の繰返しにすぎない。自治機能がマヒし、民主主義が空洞化して、矛盾や弊害が累積している指定都市制度の見直しについては一片の検討も加えられていない。今進められている行政改革が、ただただ国家財政の危機からの脱出という、短絡した近視眼的な発想で行われているために地方自治や都市活性化への配慮が決定的に欠落していると言えよう。
堪りかねて、私は昨年三月六日の県議会本会議で、現行指定都市制度の具体的な改革案を提示した。それは、「指定都市を道府県から分離独立させて『新特別市』とし、さらに指定都市の各行政区を一般の市と同じ権限をもつ『新自治体区』にして独立させる」という「新しい特別市制度」の創設である。
以来、一年余りの間に、県会、市会の先輩同僚議員、自治体関係者、町会・自治会をはじめ各種団体の指導者、一般市民など各方面から支持と激励を受けてきた。予想を超える反響や評価を得た、この提案をローカルの一過性の話題に終わらせることなく、広く世論に訴えようと、改革案を補強すべく資料の収集、調査中の昨年六月に、東京都の都制度調査会が、「新しい都制度のあり方〜巨大都市東京の実態にふさわしい自治制度を確立するために」という最終報告書を鈴木都知事に提出した。これは、最近のわが国における最も権威のある、現実的な巨大都市制度の改革案であり、都制度のみならず、指定都市制度の改革にとっても貴重な内容であると確信している。大都市での「新しいふるさとづくり」にとって天佑と思われてならない。■ 三十年を経た指定都市は自治の墓場と化した
明治二十二年、市制発足当時から、六大都市(東京、大阪、京都、名古屋、横浜、神戸)により、「特別市制」実現の運動が精力的に行われてきた。昭和二十二年、地方自治法の制定にあたり、東京都を除く五大市に初めて「特別市制」が創設された。それは五大市を特別市として、それぞれの府県の区域から分離独立させて、府県と一般市の事務事業を併せ行わせることにより、府県との二重行政ト国と府県との二重監督の弊害を排除するとともに、これら五大市の自治権を強化しようとするものだった。だが、「特別市制」の実施を阻止しようとした府県との間で激しい論争がおこり、十年にも及ぶ泥沼の抗争の収拾策として、昭和三十一年に現行の政令指定都市制度が設けられた。
この指定都市制度は、大都市を府県から分離独立はさせず、事務事業の再配分とそれに伴う財源の配分調整によって、大都市に特例を認めたものだ。いわば、府県と大都市との政治的な妥協の産物であり、差しあたっての制度だった。
当初、五大市が指定され、その後北九州、札幌、川崎、福岡、広島が加わって、今や一都十大都市時代を迎えた。これら大都市の人口は約二千四百万人、昼間人口は実に三千方人に迫り、全人口の四分の一以上にのぼっている。最近では、仙台市、千葉市、堺市なども自治権の拡充を求めて、指定都市への準備を進めていると灰聞している。不完全な過渡的形態で発足した指定都市制度もほぼ三十年、その間、これらの大都市は無秩序に膨張し、さまざまな矛盾や弊害をはらみながら、人間疎外を増幅し、今や、大都市社会の実態に対応できない。もはや、単に地方自治体の問題にとどまらず、国政レベルの課題でもあろう。
その主な問題点を指摘してみると、まず、人口百万人を超えるような巨大都市社会の特徴は、人口の流動が激しく、過剰な情報や刺激の中で、市民の価値観や意識は多様化し、複雑化した多元社会である。また、市民相互のふれあいは少なく、信頼感、連帯感、責任感などは相対的に希薄で、地域社会の教育機能、福祉機能の衰退は否定し難く、反社会的行為発生の抑止力は弱い。想像を絶する犯罪-の発生も大都市社会の特徴の一つであろう。そのうえ、権利意識は強いが、問題解決の当事者能力に欠けて、何でも裁判に持ち込むという濫訴社会でもある。ミーイズムのはびこる"都市砂漠"との指摘もある。合意形成には、かなりの困難を伴う。現代文明社会のむずかしさと病巣はここにあると考える。
こうした大都市社会を背景に、指定都市の行政制度とその実態を見ると"市民不在"は目をおおうばかりだ。
指定都市は、府県から移譲された権限(高校教育、警察、労働を除くほぼ全行政分野)と一般市双方の権限を併せもち、しかも行政区への権限委譲にも限界があって、市長と市庁舎を中心に極度の中央集権化が見られる。そのため、指定都市の行財政は、いやがうえにも肥大化・複雑化し、-それに加えて道府県との二重行政も無原則に入り乱れて、市民にとってはなんとも解りにくい。市民の納めた税金が、どこで、どう使われているのか、解ろうはずがない。人ロ三百万人に迫る横浜、大阪両市をはじめ、人口百万人ほどの巨大な都市は基礎自治体としては余りに大規模すぎる。市民の意思が市政に届かず、ましてや道府県政に届くはずがない。市民に最も密着すべき市の政治や行政が、市民からますます遠のき、無関心や無責任が増大し、いくら市民参加を呼びかけたとて、参加意欲はおこらず、市民の監視の目は届かない。神奈川県も川崎市も、全国に先がけて情報公開制度をつくったが、指定都市制度の下では住民にとってはお手あげの状態だ。市民が無力感を覚えるのは当然だろう。指定都市では原則として、最も身近な知事、市長、県議、市議の四つの選挙が同時に行われるにもかかわらず、横浜、川崎では投票率が六〇パーセントをこえることはほとんどない。悲しいかな"神奈川都民"とは絶妙の表現だ。自治とは名ばかりで、民主主義が形骸化しているのが実態だ。
さらに、指定都市では、行財政規模が過大なのに加えて、巨大な権限が市長に過度集中しているために、政策の企画・立案、予算編成とその執行など行財政の全般にわたって、ひずみや硬直化は避けられない。「機動性を失って都市活性化の阻害要因が山のようだ」と指摘されている。
自治体行政にとって重要な人事管理の面でも障害があって職員の士気、モラルの低下を指摘する声も強い。また、政策の優先順位の選択にも大きな混乱が見られる。そこには、行政の側(権力)の論理が先行し、過剰に作用し、逆に市民や地域の 切実な要望が圧殺されている。今日、市民の日常生活(圏)の中で欠くことのできない福祉、文化、スポーツ等の施設作りが後まわしにされ"一点豪華主義"といって、一ヵ所に豪壮な施設を作り、その実績を誇示するやり方はその典型だ。私の住む川崎市多摩区は人口約十五万人にもなるが、公設の体育館も総合グラウンドも野球場もプールも児童青少年会舘も福祉センターもない。これは多摩区だけが例外ではない。入れもの(施設)ばかりがすべてではないが、今どきにしては余りにもひどい。自治権のない行政区の悲劇か。それにもかかわらず、今、市では映像文化センターなる他の自治体に類一を見ない施設を市立博物館の新設に併せて作る計画を進めている。指定都市は巨大にすぎて、市民の日常生活に直結する基礎的行政分野が放置され、行政(権力)のための行政に堕す傾向は否定すべくもない。
こうした冊大化と集中の弊害を排除する目的で行政区が設けられているが、それは東京の特別区と異なって、公選の区長はおらず、議決機関の区議会もない。区長以下区役所の職員は市長に人事権のある市の職員。区長には予算編成、課税、財産、人事などの権限はなく、「区」としての意思決定、政策決定はできない制度になっている。しかも、市民にとって最も身近な区役所の仕事はといえば戸籍、年金、健保、税務などの単純事務処理と本庁と区内の出先機関との連絡調整だけ。そのうえ、戸籍事務を除く、区内の行政執行は市役所の本局別のタテ割で行われている「区」は自主的に行政を行うことはできない。巨大な人口をかかえて、地域や住民のニーズを的雁に把握し、キメ細かい対応ができず、地域整備(町づくり)のバランスもとれず、地域格差は拡大し、人口急増地域などは都市としての風格は全くない。大都市では市民の帰属意識、参加意識、愛着心を育てるための誘導的なシステムや施設が意図的に作られなければならないと考えるが、「区」に政治機能がない現状では不可能に近い。
指定都市の市民ほど自治から疎外され、行政サーピスから阻害されている国民はほか忙なかろう。参加と分権による地方自治が声高く叫ばれ、との成熟した民主主義の時代に、人口十万はもとより、横浜市戸塚区のように四十万人もの「区」に自治権がないとは納得できない。全国十の指定都市は行財政の規模は大きく、自治権も大幅に認められ、それぞれ中枢機能が集積し、文化性も娯楽性も高い。大都市の匿名性もあって、一見華やかにして自由で、民主主義や自治がうまく機能しているように映るが、実態は民主主義の不毛地帯であり、自治の墓場としかいえない。「基本的人権にかかわる問題だ」との声は切実だ。■ 指定都市は道府県から独立して「新特別市」に
もう、人口の規模で自治体の"格"を競う時代ではない。"スモールイズビューティフル"はふるさとの夢と希望である。
指定都市の弊害や矛盾を除去し、自治を機能させるためには巨大化した行財政を分化し、守備範囲を明確にして過度の集中を解消する以外に方法はない。指定都市を道府県から分離独立させて「新特別市」として、道府県と同等の権限を与えて、独自に大都市行政(広域、高度、大規模な分野)を行わせると同時に、各行政区に一般市並みの自治権を与えて「新自治体区」にして、市民生活に密接な行政分野を担当させることだ。
指定都市の道府県からの分離独立については、歴史的にも実態的にも議論の余地はないが、簡単に触れておく。
@指定都市制度が施行されてほぼ三十年、各市とも道府県から移譲された事務事業を着実に執行し、行政能力については全く支障のないことを実証している。ちなみに、予算規模も、本年度分について見れば、総額で大阪市が二兆五千億円、横浜市が一兆七千億円、川崎市でも五千七百億円で府県以上の予算規模だ。
Aかつての論争の中で、府県側が深刻に懸念した残存区域(大都市独立後の残された府県の区域)も発展し、今では一つの`府県として行政執行に支障をきたすことはない。二つの指定都市をかかえる神奈川、福岡両県の残存区域の人口は、それぞれ三百三十万、二百五十万で、府県平均の百六十万をはるかに超えて(残存区域をめぐる問題はない。道府県レベルの自治体といえども過大な人口や面積は解消すべきで、「身近な政府」を求める北海道の分割運動は合理的だ。
B各指定都市は、それぞれ道府県の中で周辺部との一体性を保ちつつ発展してきたが、分離独立にしてもかつて心配されたような大都市行政にとって、著しい障害は考えられない。むしろ、広域行政二ーズに対しても主体性・自主性は発揮しやすい。現に、首都圏では六都県市(東京、神奈川、埼玉、千葉、横浜、川崎)は"首都圏サミット"と称して定期的に協議の場を設け、それなりに成果をあげている。もはや、両指定都市は都県と全く同等の立場を占め、「新特別市」として神奈川県から分離独立していないことが余りにも不合理だ。
C指定都市に対し、残されている道府県行政の主なものは教育と警察の両分野だが、「新特別市制度」創設による障害は考えられない。教育行政では、高校教育を除き、すでに指定都市の教育委員会が実施している。道府県は市立の小中学校の教職員の給与に関して、その財源と支給システムにかかわっているだけで、全く問題はない。次に、警察行政では治安の確保という機能面が最優先されなければならず、広域捜査、人事管理などの点で分割になじまない側面も指摘されるが、調整は十分可能だ。防犯、初期捜査、各種連絡調整、地域関係などの面ではむしろ機能強化につながる利点が多い。
D指定都市での道府県との二重行政の弊害やムダは目に余る。「新特別市制度」による行政の一元化で、住民には解りやすくなかへ革命的とも言える行財政の改革が可能になる。神奈川県について言えば、横浜・川崎両市内に設置されている県の地区行政センターは二重行政の典型で、見るに忍びない。」一元化により年間二十億円以上の経費節減が見込まれる。
もはや、指定都市が道府県内にとどまる積極的な根拠はなにもない。議論の余地はなく、指定都市制度はその歴史的な役割を果たし終えた。
三十年代はじめから、大都市に人口が集中する反面、人口流出で過疎化の進む自治体が続出し、横浜市のように三百万人に迫る巨大な都市もあれば、三万人を割る小さな市もできた。これほど大きな格差が生じ、多様な市が生まれながら、基本的には指定都市も含めて同一の制度を適用している現行制度には無理がある。市の規模や能力、地域の実情に応じて「新特別市」、「指定都市」、「一般市」の三段階の市制度を検討すべき時だと考える。「各県の県庁所在市は指定都市にして、自治権を拡充すべきだ」との細郷道一横浜市長の見解や、社会経済国民会議の提言は現実的で全面的に賛成だ。■ 行政区は自治権を獲得して「新自治体区」に
指定都市では、権限が市長に過度に集中するのを防ぐために、市長権限を分掌させる目的で行政区が設けられているが、行政区はその設置目的を果たしていない。否、制度上果たせないのが実情だ。したがって、民主主義や地方自治の基本理念である権力の集中排除と地域分権の要請から、指定都市を適正な規模基礎自治体に分節(分割)して、住民に「身近な政府」をつくることだ。シビルミニマムやアメニティー(快適さ〉の達成は地域ごとの住民の創意工夫・参加協力によりはじめてできることで、集権的な一つの巨大な自治体では合理的・効率的にできるはずがない。大都市での自治の確立は単なる行政区への権限の移譲ですむほど単純ではない。少々の調整は必要だが、原則として、各行政区に一般市と同等の権限を与えて「新自治体区」として独立させ、区長を公選し、区議会を設けて、福祉、教育、文化、スポーツ、都市緑化、地域整備やコミュニティづくりなど住民に身近な行政分野を自主的に行わせることだ。
これらの施策は、当然住民との緊密な連携が必要となり、住民と政治や行政との間に直接的な関係ができて、住民の意思も届きやすく、関心も高まって、参加や監視の機能も有効にはたらく。住民相互の交流も活発になり、信頼感、連帯感、帰属意識、愛着心も育ってくる。それにつれて、住民の自立と自律、相互扶助の精神も醸成され、社会の教育機能、福祉機能も強化されるにしたがって、モラルが向上し、犯罪の抑止力も強まり、秩序を伴った近隣地域社会(ふるさと=コミュニティ)が形成されてこよう。一朝一夕にしてできるものではないが、「身近な政府」による「身近な民主主義」の確立によって、新しい社会構造の構築と住民の意識改革への確かな道が開けてくる。そうした地域社会にあって、各種行政施策もはじめて所期の成果をあげ得るのだ。「新自治体区」の創設は、地域ごとに政治機能をもたせることで、住民の合意形成がより直接的に可能となり、複雑な権利関係が絡む再開発事業をはじめ各種のプロジェクト推進にとって有効なシステムとなる福祉、文化、スポーツなどの諸施設も使用する地域住民の意思により設置が可能になり、結果的には市域全体でも各種施設の適正配置が実現する。たくまずして、行政の公平と均衡がはかれ、地域格差の解消につながる。地域分権のめざすところだ。
「『新自治体区』の創設は指定都市の実質的な分割であり、大都市の総合的・一体的な運営にとって大きな障害をもたらす」との批判もあろうが、税財源、予算編成とその執行などの各面で厳しい規制や制約がある、拘束性の強い現行法制度(三割自治)の下では「新自沿体区」は大都市の総合性・一体性を侵すほどの自主権、裁量権は認められない。総合性・一体性を強調する余りに、大都市の各地域での個性的で斬新な施策の展開を阻み、画一化を強要し、住民の活力や都市の活性化を抑圧することの方が重大ではないか。長年にわたる東京の「都」と「特別区」の論争が思い出ざれる。
このほか、職員増や区庁舎の新増設による財政負担増に対する懸念だが、詳論は他に譲るとして、「スリムな政府」「コンパクトな議会」は今日の課題だ。二重行政や過大な行財政のムダを省いて、民問・住民の活力を生かすことにより、長期的な財政メリットはかなり期待できるはずだ。それよりも、「新自治体区」の創設は大都市の復権をかけた、自治の根幹に迫る、次元の違う提案であることをぜひ理解してほしいものだ。■ 「新特別市制度」の骨格〜その権限と税財源の配分調整
昨春、私が指定都市制度の改革案を出してから間もない六月七日に、都制度調査会の最終報告書が鈴木都知事に提出された。東京の特別区の長年にわたる精力的な運動の成果である。それはこれまで述べてきた「新特別市制度」の基本理念・基本構想と全く同じものと言える。東京都の大都市地域(特別区の区域)と指定都市の地域は、東京の首都中枢管理機能を除けば、ほぼ同質と考えられる。住民生活活に直接かかわる基礎的な行政分野については、東京も指定都市も変わるはずがない。したがって、報告書による「新しい東京都」と「新しい特別区」の関係(「新特別市」と「新自治体区」の関係、それに「新しい特別区」と「新自治体区」の性格や権限などは同一の制度として整合させることが、わが国の大都市制度を統一させる視点から適当と考える。現に、報告書は「近隣県にも同じ制度を適用することがふさわしい地域もある」として、神奈川県や横浜市、川崎市なども都制度の改革に合わせて制度の改革をすべきだと、示唆している。
以下、報告書を準用または引用しながら「新特別市制度」の骨格について、その権限と税財源の配分調整を申心に述べる。T 「新特別市」と「新自治体区」の権限(事務事業)
「新特別市」は基本的には道府県の権限(機能)をもつほか、大都市経営を総合的に推進するために、必要な実施・調整の権限を与えるべきだ。また「新自治体区」は一般の市町村と同様の存在となるが、事務事業の配分や税財政制度において、一般の市町村とはやや異なった自治権限をもたせるべきだ。具体的な事務事業の配分にあたっては、広域性、統一性、高度専門性、地域性、規模の大小ネットワーク処理の必要性、効率性等に照らして、柔軟に処理すべきだ。つぎに「薪特別市」と「新自治体区」の具体的役割分担と事務事業の配分案を示す。
「新特別市」の役割分担(事務事業)
(イ)全市域にわたる総合的な計画・指導・調整等
a 大都市特有の行政需要に対応するため住宅、交通、通信に係る各種の経営体の活動の指導・調整
b 全市域にわたる土地利用及び根幹的都市施設に係る都市計画の決定
c 一定規模を超える開発行為の許可
(ロ)全市域で一元的統一的に処理することが適当な事務事業
a 警察行政(市公安委員会、市警察本部の設置)
b 広域的な防災・消防
c 広域的な環境の保全
d 都市景観の確保
e 広域的な保健衛生(伝染病院、総合病院の設置)
f 広域的な福祉施策の推進
g 農業、中小企業の指導及び振興
h 高校教育・私学教育の振興
i 清掃事業
j 公営住宅の建設
k 大視模な都市計画事業
(ハ)全市域の住民が利用する基幹的施設の設置・管理・事業の経営
a 基幹的な施設等
都市交通事業/上下水道事業/中央卸売市場、屠畜場/一般国道(指定区間外)、道府県道、幹線市道/港湾/大規模公園整備・管理
b 高度専門技術を必要とするもの
高度専門病院/試験研究機関/高度に専門性を有する福祉施設等
c センター的機能を有するもの
心身障害者福祉センター/中央図書館/博物館/消費者センター「新自治体区」の役割分担(事務事業)
(イ)区内の総合的な計画・調整等
a 地域的な都市計画の決定
b 建築行政(すべての建築確認事務を処理する)
c 開発行為の許可
(ロ)住民の身近なところで処理することが適当な事務事業
a 地域防災
b 地域的な環境保全
c 地域的な保健衛生
d 地域に密着した福祉施策の推進
e 幼稚園、小中学校教育(区教育委員会の設置)
f 清掃事業(一般廃棄物の収集)
g 地域に密着した都市計画事業
(ハ)地域住民が利用する施設の設置軌管理等
a 生活道路(「新特別市」が担当する以外の道路)
b 小規模な病院・診療所(夜間、休日)
c 通所福祉施設
d 地域図書館
e 地域公民館
f 公設小売市場U 「新特別市」と「新自治体区」への税目配分
まず、原則的には現行地方制度と地方税制に準じて「新特別市」には道府県の税目を、「新自治体区」には市町村の税目を配分することとするが、それぞれの自治体の性格や財政需要、それに税源の偏在に対応するための制度が必要となってくる。基本的には、それぞれ固有税だけにすることが望ましいが、「新自治体区」に配分する税源は区固有の税目と調整税源に分かれざるを得ない。「新自治体区」の財政自主権との関係で、極力調整幅を圧縮するよう固有税と調整税源の税目配分を定める必要がある。また、「新特別市」と「新自治体区」への税源配分を完全に税目のみで行うことは無理が想定されるので、調整財源については必要に応じ税目を一定率等の固定的基準により配分してあてることも考えられる。
V 「新自治体区」間の財政調整
まず、「新自治体区」に配分する税源のすべてを「新自治体区」の固有税とした場合、全市域の社会経済的な実態から、各区間の税源偏在が極端に大きくなり、各「新自治体区」の財政に著しい不均衡を生じる。本来、地方自治体間の財源の不均衡は、地方交付税制度によって是正されるべきであるが、この場合、現行の交付税制度では、想定される極端な不均衡を是正できないために、独自の財源調整を行うことが必要となってくる。このため、「新自治体区」に配分する税源のすべてを区の固有税とせず「新特別」市」の税の一部をもって「新自治体区」間の調整財源として、「新自治体区」に配分する。なお、この調整方法の基本的事項は「新特別市」の条例等によって明確に規定する必要がある。
次に、調整財源の配分と平衡金(納付金)制度であるが、その配分は、国の地方交付税制度に準じて、各「新自治体区」の基準財政収入額と標準的、合理的に算定された基準財政需要額を比べ、収入額が需要額に満たない「新自治体区」に対し、その満たない額を基準にして、調整財源を按分交付する。逆に、収入額が需要額を超える「新自治体区」が生じた、場合、その超えた額を平衡金(納付金)として調整財源に組み入れる制度(「新良治体区」財政調整平衡金(納付金制度)を設ける。
国の地方交付税制度の適用については、「新特別市」は道府県レベルの普通地方公共団体として、市独自で適用されるべきだ。また、「新自治体区」は先に述べた調整制度による調整後、全国的な観点からの財源の均衡化(均霜化)と区財政の自主性の確保のために、一般市町村と同様に各「新自治体区」が個別に地方交付税制度の適用をうけることとする。
次に、「新自治体区」の起債の許可権者は道府県と一般市町村の関係と同じく「新特別市」の市長とする。W、「新特別市」と「新自治体区」との関係は基本的には対等の関係に立つが、大都市行政の総合性、有機的一体性等の確保のために「新特別市」は「新自治体区」に対して必要な調整を行うこととする。両者な条例により「市区協議会」を設置しそれぞれの首長で構成する。この協議会では、広域計画と地域計画との調整をはじめ、市区間で調整を要する事務の協議を行うほか、「新自治体区」間の財政調整もこの協議会の議を経て行う。「新自治体区」は必要に応じて、事務の共同処理に努めることにより、一層相互の連帯と協力による効率的な行財政運営を推進するものとする。同時に、各区は地域に合った独自の施策を行い、区相互間の政策を競うことにより、地域と都市の活性化を目ざすべきだ。
X、「新自治体区」の区域の設定は、現行の行政区を基本とするが、地域の実態や住民生活に配慮し(区の行財政の合理化、効率化を図るために、適正な規模とする。特に過大区・過小区の人口、面積)の解消には配慮する必要がある。首長が効果的、効率的に対応できる人口は十五万人から二十万人前後が適当と言われている。戦後四十年経た今日、わが国は諸制度の積年の矛盾や弊害を除去して、新しい時代に対応すべく国と地方を通じて行財政改革は熱気を帯びている。中でも「機関委任事務」、「国、地方の許認可権限のあり方」、「国、地方の行政府による規制の緩和」など関心のもたれるところだ。教育改革の論議もかつてない高まりを見せている。首都改造計画も都制度改革も動き出した。
あと四年すると市制施行百年を迎える。来年は指定都市制度発足満三十年になる。住民にとっては不都合極まりない指定都市制度も道府県と指定都市(行政の側)にとっては、この上もなく都合の良い制度になってしまった。それぞれの自治体にとって、権限の分割・縮小につながる「新特別市制度」創設に対して行政側の壁は厚かろう。だが、迫り来る高齢社会、高度情報社会に備えて、「新しいふるさとづくり」に取り組まなければならない。今こそ、大都市制度改革の絶好のチャンスだ。
「指定都市よ蜂起せよ!」「行政区の自治権獲得に立ちあがろう!」と、絶叫したい。この提案に当たって、学者や専門家からの助言は一言半句もいただいてない。ただただ、七百四十万入の巨大自治体神奈川での、住民としての生活実感と十年余の議員活動の現場体験の中から生まれた深刻な問題提起である。よって、不備な点は多々あると思う。各方面の率直、かつ厳しい指摘を願いたい。二十一世紀を目ざす「新しい大都市制度」確立のために、この拙稿が本格的な論議の発火点ともなれば、この上ない幸せである。永井英慈「指定都市を道府県から独立させよ」
初出 : 『中央公論』昭和六十年九月号(中央公論社)
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